更年期はどうにもならんな

やる気が出るホルモンが、減る。そうか、そうよね。わかった。ごはんをバランスよくたべたり、運動したり、薬を飲んだり、してるよ。頑張ってるよ。

それでも、3年前のようには、絵描けないのね。今はもう。もうこれを仕事にしてしまおうかと覚悟しても、描けないのね。前は毎日描いていたのにね、今は週に1枚が平均なのよね。あぁ…。。すべてがスローだ。

せっかくアパート暮らしを始めて、なんとかなりそうなのはいいけど、家事をやってごはんをしっかり食べる。で、終わる。。あと身綺麗にするのがやっと。そんなものだろうか、うつ持ち更年期って。そうね、そんなものかもしれない。私が毎日みているXのゆにさんも、もっと重症で、歯みがきやシャワーを目標にしてるもんね…。たまに外出できる日が出てきただけでも、かなり回復してきたのかもしれない。ここ何ヵ月単位で考えると。一年前とかマジで寝たきりに近かった。そう考えると…アパートを借り、、くらいでももはやすごい進歩してるじゃないか。うん。あともう回復の余地があるかわかんないけど。更年期だから、ここで打ち止めかもしれないけど…。まあ、明日は明日できることをただやるしかないのだ。明日は夕方バスに乗って家に帰る。陽があるうちにバスに乗る、が明日の課題だ。がんばろう。

病める者は幸いである

最近聖書を読むようになって、病める者は幸いである、貧しい人は幸いであるの意味を考えて、ちょっとわかってきた感じがする。それは、私がまあまあ貧しいし、まあまあ病める者だからかも。それで、今は精神的に少し良い状態になってきたから、そういうことを考えられるようになってきたんだと思う。病める者は、たまに調子が良い日があってちょっとでも普通っぽいとすごく嬉しい。ほかの人は当たり前の、家事ができる。外出ができる。今日は両方できた!とかでも、すごく充実した気分になる。だから、幸せ。幸いである。となる。単純だけど本当にそう思う。貧しい人もそう。ふだんあんまりいいものは買えない。けど、たまーに、買う。そしたら、やった!!これ買ってしまったよ!となる。それもそんなに高いものではなくても。ここしばらく何年か一万円以上のものは買っていない。たぶんこれからも買えないと思う。だけど、なんか幸せ。二千円のものを買うと幸せを感じる。お金をたくさん持っていたら、いくらでも高いものが欲しくなってキリがなくなる気がする。だから、貧しい人は幸いである。になる。

フィギュアスケートの三原舞衣ちゃんを見てると、すごくそれを感じる。彼女も病める者だから、普通に滑れることに、ものすごく幸せを感じているよう。滑れない体調の日がよくあるんだろう。だから、ほかのスケーターと違う。結果もほしいけど、滑れることが幸せなんだ、彼女は。だからもあって、彼女のスケートにはほかの選手にはない感動がある。坂本さんの勝利はしびれる感動がある。でも三原舞衣ちゃんの勝利にはじんわりとした感動がある。

病める者は幸い。貧しい人は幸い。

聖書の教えはこんなことではないかもしれないけど、今の私の気持ちはこんな感じ。

父も私もヘルパー利用

久しぶりに文章を書く。最近は具合が悪かったり、ちょっと良くなったら色々忙しくてブログなど書く暇がなかったり。大変に忙しく、具合も悪く、しかし充実もしている。

更年期が本格的に始動し始めたようで、40代も半ばを過ぎたから仕方ないが、調子が毎日今一つ。しんどいのは当たり前。ましか、ひどいかの二択だ。しかしここ最近は涼しくなってきて、ましな日が多い。有難い。休み休みなのは変わらないが色々毎日できている日々だ。

夏に大変な危機があって、死ぬかと思ったが、それをきっかけとして、その後から物事がうまく回り始めたのを感じる。具体的にどういう事かと言うと、一人暮らしを始めるということを決めた。これだ。

今まで家を出たくて、グループホームしかない、と思いこんで探しては体験、を繰り返していた。しかし満足のいくところが見つからず、ちょっとして家に戻る。それを一年と少しやっていた。いいところが見つかるまでやろうと思っていたが、そのうち父の認知症が進み、家の中はなかなかひどい状態に。そこに今年の夏の猛暑、加えて思い出したくない家族内の悲劇。もう本当に家は限界になった。なので、今まで手を出していなかった一人暮らしについに舵を切ったのだ。今まで、一人暮らしは簡単にはできない。準備やいろいろなことにお金もかかる。という理由で、だからやらずにきた。でも、本当はやってみかかったのだ。しかし思い切りも勇気も出なかった。しかしあああ、もう、やだーーー!!!とやけくそになって、初めてそうすることになり、結果よかった。というかまだ準備段階だが、もうワクワクしている。不安はたっぷりあるのだが。なにせ一人で暮らすのだから。しかしそれらの不安より、楽しみの方がずっと大きい。自分だけの家、自分の好きなように暮らせる家。なんて素敵なんだ。絶対これはグループホームに入居じゃ味わえなかっただろうと思う。この気持ち。

そういうわけでやるべきことがたくさんある。家具家電の準備。生活用品の調達やなんやかや、物理的にたくさん。しかし何より、ヘルパーさんの手配だ。これが一番重要。相談支援員のIさんに頼んでいるが、これからどのように利用していくかを決めなくてはならない。母にもしばらくは応援を頼みたいので、家との兼ね合いを考えながら。これが大変なところ。父も症状が進んできたので、ヘルパーさんを入れることができるようになるらしい。それでうまく母が疲れない程度に手伝ってもらえれば。。と思っている。

早く(と焦り過ぎてはいけない)家から自立し母の手を借りずに生活できるようになりたいが、確実にできることを一つずつ積み重ねていこう。と思う。今は。

おばあちゃんもうすぐ100歳

敬老の日がやってきて、おばあちゃんのところに、100歳記念のいろいろお祝い品が来ていた。正確にはまだ99歳で、来年の1月で100歳を迎えるおばあちゃん。なので今年度に100歳を迎える人に、この敬老の日あたりで国から一斉に記念品を送っているらしいと思われる。内閣総理大臣から、県知事から、そして市から。総理大臣からは、銀杯だった。これは前から情報があって、立派な銀杯がもらえるらしい。と聞いていたのでどんな立派なものかと期待していたが、届いたのはお屠蘇を飲むくらいのサイズの小さな杯だった。なーんだ。こんなに小さいのか。と、拍子抜けした。一応小振りながらも立派といえば立派なんだけど。そして県からは一番適当と感じられる、風呂敷みたいな布でできた、ティッシュ入れみたいなやつ。これ、普通のやつやん?て感じ。それで、市からは、私はこれが一番いいじゃん、と思ったが、盾。中サイズくらいで、両開き。右側には市からのお祝いの言葉。左には、事前に提出していたおばあちゃんの写真と経歴を元に、似顔絵とこれこれのことをされてきた、○○さんは立派です!みたいなことがかわいらしい自体で書いてある、絵手紙のような、やはり表彰状のようなもの。なんかあたたかみがあって、その市からの盾が私は一番いいなと感じた。あとは、国からと県からの表彰状。これこそ表彰状という感じの、卒業証書みたいなやつ。筒に入っていた。まあ嬉しいものかな。こうお祝いされるとね。

おばあちゃんはもう100。という実感がいよいよ沸いてきたみたいで、もうあの世は遠くない。みたいなモードになっていた。いやまあ自然のことだから別にいいけどね。遺影のことなどを自らイキイキと話す。(笑)いいけどね。しかし今のところ足腰は弱ってはいるものの、自分で歩けるし、ごはんもしっかり食べられるのです。あと3年くらいいけるのではないか。とか思ったりもするが、だがそれはやはりわからない。やっぱり年は年なので。それがいつなのかは、神様しか知らないことだ。

とにかく、私も自分のことで、これから家を出るかとか考え中だけど、今までどおりおばあちゃんのうちに、たくさんお世話になるつもり。看護師さんとの面談に使わせてもらったり、時にはうちを離れる気分転換のために滞在させてもらったり。お世話になれる限りはお世話になろうと思ってる。これまでどおりに。おばあちゃんがあの世にいくのが本当に近いのなら、余計にたくさんの時間をおばあちゃんと過ごそう。そう思う。

お父さんとお母さん、そして訪問看護師さん

お父さんの認知症は仕方がないけど。お母さんの立ち回りが全くもってうまくない。私はもうお父さん無理だから。と言ってるのに、理解がないというか。私の病気を本当には理解できてない。どう辛いのか、日々これだけ言い続けているのに。もしかしたらそれなりに理解してるのかもしれないけど、ひょんなミスが多すぎて、とても悲しくなる。そういう時はやっぱりお母さんも発達障がいか、と思う。たぶんそうなんだと思う。

今日はおばあちゃんちに出向いて訪問看護師さんに会った。2日連続の外出はちょっとしんどかったけど、孤独が辛くて、外の人に会いたかったから頑張って行った。訪問看護師さんを利用するのは3回か4回目くらいだけど、みなさんとても感じがいい。3人でのローテーション?のような感じで聞いていたけど、前回と今回は同じ人で、私と同い年の女性。とても優しい。前回まではまだ様子見という感じで、今日初めて、家族の辛い事情を少し話すことができた、良かったと思う。とても優しい言葉をかけてもらえた。労ってもらえたような気がする。外の人に家族のことを話すことはあまりこれまでチャンスがなくて、それだけに今日は良かった。やっと外の人に言えて。

それでも30分という時間でうちのややこしい家族のことをすべて言うのは難しい。これからも少しずつ話していけたらいいなと思う。そして、前回、たまたま机の上に置いていたきのう何食べた?の漫画を見て、看護師さんが、これのドラマが好きで見てました!とか言って、今度DVDで映画見ましょう。みたいな雑談もしてくれて、今回もそういう話もしてくれて、少し、友だちみたいになれるかな、と、とても嬉しくなった。だって、今回のゴタゴタで、姉と上の妹とはもはやラインを出来るような感じではなくなってしまい、。話す人が減ってしまって。それがとても寂しかった。。家では相変わらず辛い日々なのに、話す人も減って…。悲しい毎日なんだ。孤独で。下の妹と、上の弟には連絡できるんだけどね。それでも、会える訳じゃない。寂しいんだよ…。

だから、同世代の友だちみたいな関係に、その看護師さんとなれたら。と、そういう気持ちもあって、頑張って会って。でも、すごく優しくしてくれて、本当に良かった。嬉しかった。最大で週3で利用できるらしいから、これから会える体調であれば、たくさん利用していこうと思う。体調も上向きではある。ピルも8か月目になってだいぶん馴染んできた感じ。もっと安定すれば、もっと可能性が出てくるだろう。いい方向に持っていけるように、看護師さんの力を貸してもらおう。と思う。いい訪問看護師の事務所を紹介してくださった、相談支援員のIさんに感謝だ。ありがとうございます…。

 

意味のあった苦難

おばあちゃんが施設に入ることがどうにか、動き出した。

私が強く母に意見して、母がついに腰をあげたのだ。うちの母は行動能力も決断力もない。ヘルパーのように世話をするのだけが得意とするところ、という性質だ。

おばあちゃんと一月以上を共に生活して私なりにいろいろ気づいたことがあった。おばあちゃんはもはや一人暮らしを快適とは思っていない。一人で寂しい。どこもかしこも痛くて辛い。具合の悪い病人の私でいいからそばにいてほしい。そんな感じだ。歩き方はヨロヨロ。認知症ではないが、99の為、物忘れは尋常じゃないレベル。これから猛暑が来るのに、適切にクーラーを利用できるのか、、私は心配で堪らなくなった。夏をここで過ごそうと思っていたけど、私もいつどうなるか、疲労が募っていつ入院するかわからない身。もう、施設に入るのがおばあちゃんのために必要だ。と痛烈に感じたのだ。しかしお母さんは動かない。歩けるから、認知症になってないから、一人暮らしをさせている。自分がヘルプに来るからいいと思っている。実際頑張っているのはわかる。でも家にはそれこそ認知症の父がいるのだ。いつまでダブル介護するつもりなのか。

私は我慢できずに母に強く意見したのだ。おばあちゃんに一人暮らしはもう限界だと。一月以上ずっといっしょにいたから、わかる。と。生きてるのすらしんどそうなのに、全部自分で出来るからと一人でさせ続けるのは過酷で可哀想だと。職員さん、仲間に囲まれて笑って生きていく方がいいに決まってると。母は100まで。とか歩けなくなるまで。とか言っていたのだ。歩けなくなる、その日まで?じゃあ歩けなくなって、次の週からホームに入れるとでも?何を考えているのか。決断力がないにも程がある。せっかく要介護認定が下りたというのに。もうすぐ猛暑がやってくるというのに。おばあちゃんをたとえ2時間でもひとりぼっちにしといて平気なの?

かなり強く言った。ちょっと泣きそうだった。

私だって、病気が治ってなくて、疲れて、ヘロヘロで、入院を検討している身。それなのに、こんなことを母に言わないといけないなんて。なんて情けない…。😢

その私の訴えを聞いてようやく母はおばあちゃんに施設に入ることを提案した。ようやく、、その話が現実的に動き出したのだ。

死ぬほど疲れた…。。

折り悪く、ピルの休薬中だ。なんでこんなことが重なるのか。

しかし、やりとげたよ。

兄弟に報告すると、医師の弟は、ファインプレーだよ。頑張ったね。と言ってくれた。妹も、おばあちゃんのためにそれが良かったと思う。よくやったね、お疲れさま。と言ってくれた。

私は家じゃないところに行きたくて、行けるのはおばあちゃんちしか他になくて、仕方なく行ったところがあった。超高齢者のおばあちゃんとの生活は楽しいことは少なかった。辛いことの方がはっきり言って多かった。

でもそのおかげで、私の言葉に説得力はあったと思うし、結果としておばあちゃんの寿命が伸びることに繋がったのかもしれない。それなら、絶対にこの一月ちょっとの日々には意味があったんだ。

無駄じゃなかった。

よく、頑張ったねって、みんなからも労われて、少し報われた気がした。

疲れの限界は

疲れて疲れて、疲れた、、とにかく。

病気自体は快方にむかっていると思うけど、環境が辛すぎて。

実家を出たのはよくても、おばあちゃんとの生活は苦難の連続だ。やはり99歳とあれば出来ることはしてあげたいと思ってしまう。こっちはヘロヘロでも、体力がその日の限界に達していなければヘルプする。家事の手助けであればまだマシだ。おばあちゃんは、言葉遣いがとても無神経な人だ。年のせいも少しはあるが、元々そういう性格をしている。3年前もチャレンジしてみたおばあちゃんとの同居も、私の体力というよりおばあちゃんの性格のキツさで頓挫したようなものだ。今99歳になって、96歳の頃よりかは少しだけおとなしくなったが、その分頼りなくなった。加齢は仕方ない。しかし、しかし…。こちらはいさせてもらってるんだから、我慢しないといけないのかもしれないけど。あんまりな物言いの時もある。そちらは超高齢者だが、こちらも超具合悪い病気の人なんだよ…。そのへんがうまくいかない。おばあちゃんを怒りたいはずはない。しかし、余裕がない時にちょっとそれは!というような言い方をされるとたまらない…。実家に一時戻ろうにも今はアメリカから私の恐れる姉が帰ってきている。辛くても帰れない。どんどん疲労が募る。。ホントにしんどい。レキソタンを1日のマックス近くまで頓服で飲む日々。辛い…。

しかし今日は久しぶりに外の人と話せた。障害者支援施設のようなところがあったのを思い出して行ったのだ。本当はもう病院に入院しようと思って頑張って出かけたのだが、紹介状がなくてはダメだったので、(ダメ元で行ったのだ)仕方ないからせめて帰りに支援施設に行ってみたのだ。収穫はあったと思う。すごく疲れたけど、外の世界と繋がれるかもしれない、というのは希望だ。車にしばらく乗れた、外の人とちょっとだけど、ちゃんと話せた。本当によかった。外に出られないのは辛かった。ずっとおばあちゃんと二人で。疲れて…。

どうなるかと、本気で怖かった。疲れが限界を超えてる。私はもうダメだ…。昨日はそう思った。今日もプチアクシデントがあって、また疲れて、辛かった…。

でもまだ私は生きてるよ。

長野に住む弟はいつでも来ていいよ、と言ってくれている。

有難い。

でも、飛行機に乗って、その先の4人の子供のいる家に滞在することは出きるのか。完璧な自信はない。

しかしよし行ける、と思ったら即行くつもりだ。

それまでは神様が守ってくださると信じるしかない。