やさしい病院の先生

今の病院の先生はすごくやさしい。そして、とても気がつく人。今の先生に出会えて本当によかったとつくづく思っている。

男性で年は私より少し上、40代後半のようだ。既婚、子供あり。ここは九州だけど、関西弁。しかし、語り口はとてもやさしい。ここの病院はシステムがすごくしっかりしていて、保健師さんが複数常在している。来院して受け付けをすると、まず保健師さんとの面談がある。その時間に特に制約はなく、いくらでも話せる。そしてあの先生が採用しているだけあって、保健師さんもみんな感じがいい。こちらの話をよく聞いてくれるし、同情してくれたり、理解を示してくれたり、とても有難い。そして、充分話し終えると、その話したデータは先生のパソコンへ。そのデータを先生が確認してから、先生の診察となる。となると、前回からのこれまでの経過、今の大まかな状態を先生に話す時間が省けるわけだ。いきなり、先生が困ったな~とか、大変やね~とか言ってくれて診察が始まるのだ。すごく効率がいい。先生しか出来ないこと、それに仕事が集約される。素晴らしいシステム。そしてこちらとしても、困ったことやいろんなことを、保健師さんと先生、二人の人に話せるのだ。これはとっても嬉しい。心療内科に来る患者さんにもいろんな人がいるだろうけど、私の立場は少し孤独だ。働いてもない。親と暮らしてはいるが、兄弟もみな遠くに住んでいる。面と向かって話せる人は少ない。だから、複数の人と話せるというこのシステムは、とっても有難いのだ。しかもみんないい人…。よかった、、この病院を知れて。って思う。

今日また嬉しいことがあった。私は何年か前から漢方薬も飲んでいる。PMS対策で、漢方薬局で高いけど辛かったので処方してもらった薬だ。それがとても合っているので、ドラッグストアで売っているものはそこで買い、服用していた。それはPMSにも有効なのだが、神経がとても疲れたときにも効くので、最近はかなり常用していた。なので今までは病院の先生には言っていなかったのだが、さすがにサプリじゃなくて薬なので、もう言おう。と思って、ドキドキしながら報告した。すると、『漢方薬局で買ったら高いやろ、うちで出してあげるよ。』って言ってくれたのだ。やっぱり、やさしい。漢方は、漢方薬局の方が信用できます、みたいにとられたら不愉快に思われないかな。とか少し心配した。でも、そんな人じゃない、とは思っていた。でもそこまでやさしい対応をしてくれるなんてなあ。本当に、こんな辛いときに、優しくしてくれる人がいるってことは、病院の先生でも、本当に嬉しい。これからもずっとお世話になりたいなと思えた出来事だ。

グループホーム体験

ついにグループホームの体験に行った。行けた。しかし、、2泊する予定だったけど、1泊で帰って来てしまった。。もうこれは仕方ないとあきらめてる。もともとヨロヨロでベッドにパジャマでいた状態だったんだもん。十日前に見学に行ったとき、体験でここにきて寝ていてもいいよ。と言ってくださったので、それならいつまでかかるかわからない完全回復を待つ前に、もうやってみようかと、やってみたんだった。でも、やっぱり神経がだいぶんお疲れな感じだったので、初めての場所という緊張感に加え、2日目は昼間の間どなたもおられない。というひとりぼっち状態がものすごく体に堪えた。夜、みなさんが集まってきてやっとごはんだ、というところまではなんとか耐えたが、もうそこで疲れの限界になってしまって、夜ごはんも食べられず、3日目の朝を迎えずに帰って来てしまった。とっても残念だった。まあ体調、その他いろいろ考えても、客観的に見てもまあ、そうよね、今はねとは思えるから残念ではあるけど、けっこうあっさりとはしている。

家に帰ってきたら、ああ帰って来ちゃった…。と思ってちょっと、いやかなりガッカリしたけど、やっぱりとっても落ち着くよねと思った。ココもかわいいしね。お父さんの声はやっぱり聞きたくないけど、ここはお父さんの家なんだから仕方ない。ほんと。そして本当に、心底私の家なんだなあと思った。もう20年、病気になる前も数えると、30年くらいは住んでるかな。そりゃ安心するよね。。でも、早めに引き上げてしまったとはいえ、今回行ったグループホームは、とても居心地がよかった。人もよかった。たださみしさと緊張感の問題だった。なので今回は多いに収穫があったなと思う。またいつか行くときはまた同じところに行こう。もっと体調を整えて。今はとにかく落ちすぎている。まずはある程度、普通に活動できるくらいには体を戻さないとな。本当に10月末のあの事件以来、底辺に落ちたまんま。一月くらいそのまんま、だった。本当に辛かった。それでようやく今は少~~し浮上しかけたところだ。でもまだ秋の始め頃の普通だったときの調子には遠い。すぐに、へばる。そしてベッドへ。って感じだからな。やっぱ兄弟のみんなには帰省…。がまんしてもらいたいよ。でもそれも辛い。。本当に我が家に別宅でもあればいいのにな…。そう願わずにはいられない。どうしたらこの先行きの暗すぎる、お手上げのような状況を越えていけるのかわからない。兄弟のみんなに、認知症のお父さんの姿を見てもらいたい。という気持ちは強い。しかし、私は半分死んでるから…。うーん、もう少し考えてみんなにも意見を募ってみようかなあ…。一応私は家を出るチャレンジはしたわけなんだよね。半分は失敗したけど。でもチャレンジしたことで、心は少しはやったんだ、という満足感は少しある。だから兄弟のみんなにも、なんとか妥協してもらったり工夫してもらったりしてほしいなあ、。お母さんに伝えてもらおう。うん。それでもやっぱり今日、帰るとなってお母さんの迎えを待つ間、昔は独り暮らししてたのにな…。ってちょっと悲しくなってちょびっと泣いてしまったよ。

佐藤愛子さんに憧れる

先月ダウンしてから1ヶ月たった。寝て起きて、ごはん食べてお風呂入って、トイレに行く。くらいの生活。生きるのにギリギリのことくらいしか出来ない生活をしている。この2年くらいの我慢が限界を迎えたんだろうな。と思っている。これからどういう生活をするのかは改めて考えるとして、とりあえずは休まないといけない。しばらく休養しないと生きていくことも危うい。という状態になってしまった。実際いま頑張って休養していると思う。環境は変わっていないわけだから。それでも、ごはんを頂けてベッドがある。これで有難いと思わないといけないのだろう。

ふだん時間があれば、本を読むが、ダウンしたときはやれることが特に限られてくるので、本を読むというとこはとても貴重なゆとりの時間となる。ベッドサイドの明かりを点けて読む。休み休み。こういうときには刺激のある本は読めないので読むにはエッセイがうってつけだ。最近ハマっているのが佐藤愛子さんだ。

何年か前に、90歳、なにがめでたい。というエッセイが大ヒットして、私も図書館で借りて読んだ。そのときは、わ~若い、元気なおばあさんだな~~!と思った。とりあえずはそれで終わった。それでしばらくは、図書館で見かけたりしたときには、あ、あの面白いエッセイのおばあさんだ。という認識だった。それが最近なんとなく、佐藤愛子さんのエッセイ面白かったから、他のも読んでみよう。と思って、何冊か借りてきて読んでいたら、たちまちハマってしまった。びっくりしたのが、新しい装丁だから最近のかな?と思って読んでいたら、50年前、40代の頃。ということがわかり、えっ、最近のものと思った…。古くない。と感じたこと。やけに回りに出てくるものだけが古い感じがするが、…?と思っていたら、よく見ると佐藤さんが40代のころのエッセイ。とわかり、そんな前からこのような新しい感覚を持っていたのか。と驚いたのだ。今でも充分に通用する価値観。ジェンダー意識。何より自分の意見を曲げない強さに感服した。今よりずっと女性が生きづらかったであろう時代に、この文章。すごいなー…。強い。私はすごく神経が弱いので、こういう強い人間、特に女性に憧れるのだ。また、本当かよ?と思われるかもしれないが、ちょっと私の考え方の中には佐藤愛子さんと似ているところがある。しかしそれは私の中では極論で、理想で、そうは言ってもそんなこと出来るわけないじゃん。とか、それは極論だな。とか思って、ひるんでしまうところなのだが、佐藤さんは、こうだ!!こうなのだ!!と強い文章で言いきる。それがまたものすごく痛快なのだ。これって似ているというか、みんながちょっと思っていても、臆して言えないことを言いきってしまうところ。それが出来てしまうのが佐藤さんの魅力なんだろうと思う。主に女性の。本当に強い女性はカッコいい。しかも現在は90過ぎのおばあさん。ときている。これが憧れずにいられようか。特に私は今はダウンして、日がな一日寝ている。そんな私にとって彼女はヒーローだ。夫の不甲斐なさにも借金にも、更年期障害にも負けず、強く生きてきた、佐藤愛子さんに私は憧れる。ファンレター書こうかな、ってちょっと思っている。作家さんにファンレター書こうかなって考えたのは人生で初めてです。

子どもの声は美しい

音楽会とかの季節だ。プロは季節問わずいつでも演奏会あるけど、学校行事だとだいたい秋。ただ今芸術の秋である。

最近立て続けに甥の学芸会、姪っ子の音楽会とあって、家のiPadに動画が送られてきた。

可愛い。そして可愛いだけじゃなくて、美しい。子どもの声、歌声って。感動してしまう。

甥っ子は私立の進学校で、制服を着て真面目に歌っていて、かなりハイレベルな教育をされているみたいで、どこかの合唱団のような感じだ。しかしまだ五年生。声変わりもしてなくて、特にマジメな性格の甥は、歌い方もステキなマジメぶり。とても可愛い。

姪っ子は三年生で、普通の公立小だ。今日が当日で、動画を見たら泣きそうに感動してしまった。去年、六年生を送る会でコロナのため歌えず、当時の二年生が手話で歌った曲だったのだ。とてもステキな曲。二年生だった姪がとても上手に手話で歌っている動画を見せてもらった。それを、今年は三年生がマスクをしながら歌ってて。なんか感動して…。大きくなったな、とか、単純に歌えるようになってよかったなとか。また、声が綺麗すぎて感動してしまった。

なんで子どもの声は感動するのだろう。

わからないけど、悪いものが何も入ってないから、美しいから、だろうか…。

心が浄化されたような気持ちだ。

秋の夜長にミステリー

久しぶりに読書の秋って感じ。読書はまあまあ好きなのだが、最近めっきり読まなくなっていた。他にやることがありすぎていたという感じもある。絵だったりピアノだったり、YouTubeだったり。笑 しかしそれらを一通りやってやりまくって、そろそろまた本でも読もうかな。と言う気分になった、この頃。秋になってきて涼しくなってきたというのもあるだろう。暑いと、生きるだけで精一杯で、優雅に本を読むなどという気にならない。最近の暑さは異常だから。今年も例に漏れず。

私の住んでいる市は図書館がとても充実していて、ネットで予約を入れれば貸出中でない本も予約してくれて、指定した場所に移動図書館で届けてくれる。なので少し遠い図書館まで行かなくても本を借りられる。夜中でも、本を検索して読みたい本の予約とかができるのだ。素晴らしいと思う。まあそういうことができる為に、夜中にネットで予約した本を受け取った時に、ボケっとして予約してて、何だこの本は?!こんなん借りた?ということもある。まあ、ちょっと趣味と違うくらいのもので、とんでもないものを借りたことはないが。

お気に入りの作家さんは何人かいるけど、何といってもタダだから、この本読んでみよう!とか知らない作家さんの本も手にとれるところがいいよね、図書館は。それで最近手に取ったのでアタリだったのが、大倉崇裕さんという人。知ってる人には有名なんだろうけど、私ははじめて知った。読んだのは動物絡みのミステリーなんだけど、コメディ調の話がとても面白い。登場人物の会話がとってもテンポが良くて楽しい。それでいて本格的なミステリーだ。グロすぎることもない。それもいい。面白いな〜と思って作者のプロフィールを見てみたら、この動物のお話はシリーズもので、ドラマ化までしていた。な〜るほど。面白いもんなあ。ドラマ化しやすそう。そして他にもドラマの原作などを手掛けていて、コナン君の映画も一つ手がけていた。あ〜〜そんな感じする。とても、面白そう。と思った。今度ビデオ屋さんで借りてみようかなあ。これからお気に入りの作家さんになりそうな予感だ。男の人は私の中では少ないので、とても嬉しい気持ち。そうそう、住んでる市じゃないけど近くの市の図書館も併用で利用していて、そっちで新謎解きはディナーのあとでの予約の順番が回ってきたので、取りに行ってそれも読まなくちゃね。このシリーズも大人気のやつだけど、私もとても好きだ。お嬢さま刑事と毒舌執事の名探偵の話。久しぶりの新作。秋の夜長にミステリーを読むっていう超定番だけど、意識してなかったけど、今年はたまたまそんな秋を過ごしているなあ。本を好きなだけ読めるって幸せだよねえ。と思う。独り者ならでは。それにしても最近はいろいろ疲れること、辛いことも多いし、体も本格的な更年期きた?!みたいな感じで調子整わないことも多い。でもそいうときにこそ面白い本はやっぱりいいよね。マンガもいいけど、活字の面白さもいい。今たまたまミステリーを読んでるけど。面白エッセイとかも大好きだ。エッセイは爆笑ものに限る。という私的なルールがある。笑うために読むのがエッセイなのだ。普通は違うかもしれないけど。高校生の頃読んださくらももこのエッセイの破壊力はそれはすごかったなぁ。という思い出がある。とにかく笑えないエッセイはただの独りよがり。はひどいかもしれないけど、私はそういう基準で借りてきて読んでいる。とにかく、日頃の辛さから解放されたくて本読んでるのかなあ、今は。それはよくわからないけど。まあ、久しぶりに読書にハマっている時期、それだけなんですよね。いい季節だし、読書の秋、それでいいじゃないか。うん。楽しもう。

認知症の家族の洗礼

私はカトリックなので幼児洗礼を受けているのだが、この度有難くも、認知症の家族としても洗礼を受けてしまったようだ。

とのところ毎日のように涙を流している気がする。疲れて、だ。

お父さんに。というか、お母さんにというか…。

元を正せばお父さんに、のはず。認知症なのはお父さんなのだから。しかし、疲れていると余裕がないからだろう、妹の言葉に疲れて泣き。お母さんの態度に疲れて泣き。泣いてばっかりだ。元から病気である身。大丈夫か自分。心配する、自分で自分を。

もう本気でグループホームに行かねばやばい。と感じる。お母さんに手が出るようになってきたからだ。まだ理性を保って、大丈夫な感じでやってるけど、いつか悲劇になったらどうしよう。と考える。お母さんも歳だし、すごく疲れてる。もっとこうして、ああして。と言っても忘れる。たとえ向こうがひどいことをしたと私が思っても、結果手が出てしまうのがこっちなら、もしそれで何かあったら、車で人を跳ねたら100パー車が悪いみたいに、こっちが悪いことになってしまう。それは避けたい。是非とも避けたい。なので自分の身を守るために頑張って家を出たい。と思う。それでお母さんは楽になるのか、辛くなるのかはわからない。でもお父さんはそのまま変わらずなのに、私とお母さんがとても雰囲気が悪くなって、喧嘩ばかりしていたら、お父さんにもいい影響があるはずはない。だから、私は外に出たほうがいいんだろうと思う。切に思う……

今まではお母さんとそこそこバランスをとってやってきた感じだ。でもやっぱりお父さんがだんだん進んできて、けっこうやばいことを言うようになってきた。そうすると、お母さんも疲れて私への態度も適当になってくる。そうすると私が反応してしまう。私は誤魔化されたりテキトーって感じの態度を取られたりすると怒ってしまう性格だ。この私の性格のせいでお母さんもやりにくかろうと思うことはある。でも性格はそんなに変えられるもんじゃない。少しくらいなら我慢してきたつもりだ。でも足りてないんだろうなって思う。私はまだまだ療養中の身であることもあるし。そこまで余裕もない。だから、やっぱり無理がきたんだろうなあ。限界かなあ。と思う。今まで、どこまでやれるのかな。とこわごわ思ってやってきた。いつかダメになるかなって。でも、本当にもうここまでなのかな。って思う。お母さんがもう少し気の利く性格だったら。兄弟姉妹がみんなもっともれなく優しかったらな…。とか思うけど、そんな全てが理想通りに行くわけがない。そんなもんだよ、人生って。て感じ。そうそう、ここにきて感じてることが一つある。女の子より男の方が優しいんだな。って、すごく思う。お姉ちゃん、妹2人より、弟2人の方が最近全然優しいんだ。いや〜そうなんだなあ。ってここのところ意外に感じてることだ。これはうちの場合だけかもしれない。男の方が出来がいいとかじゃ決してない。女の子たちだってバカじゃない。ちゃんといい大学出てたりしてる。でも、細かいことに口を出されたり、こっちの手落ちと評価されたりすることがある。(悲しいことに)、だけど弟たちはそうじゃないいんだ。大変だね。って基本ねぎらってくれる。私がふだんよく連絡取ってるのはやっぱり姉妹ばかりなので、弟の方が優しいというこの事実になかなか気づくことができなかった。でもここにきてそう感じる。何気ない言葉に救われたりすることもある。姉妹のみんなも優しい時は優しいんだけど…。たまに厳しいことを言われるんだよね。。辛いよ。でもそれはやはり、親しいからこその、つっこんだ意見というか態度なのかもしれない、と思う時もある。でも、やっぱり基本とことん優しくして欲しいんだ。こっちは必死なんだから。。でももう言わないようにしようと思う。そういうリクエストのようなことや、こっちの現状なんかを。基本言うまい。もし聞かれたらいうくらいにしておこう。無駄に傷つきたくない。もうこれ以上。妹たちからは、平常通りの、可愛い甥姪、親にとっては孫たちの可愛い、和む写真や動画を見せてもらえたら充分だ、と思う。本当それだけでも救われるしね。

とにかく明後日にはグループホームの見学の予定。ここは前にも行ったところで、悪くないな。と思ったところだ。前は踏ん切りがつかなかったけど、今はまた状況が変わってきたので気持ちも違うかもしれない。いい方に行けばいいなと思う。もしやっぱダメかなと思っても他の所も当たってみようと思う。それまでは、決まるまでは、少しでもいい空気でこの家で暮らせるように、ここはもう神様にお祈りするしかないと思う。一応カトリックなので、そんなに信仰深い方じゃないけどお祈りの仕方は知ってるつもりだから、ちゃんと届くようにお祈りしよう。神様、どうか力を貸してください。

〇〇年ぶりの台風

昨日台風が来た。もう過ぎ去ったが。

九州住みだが、ここ何年と毎年台風が来る。いや、考えてみたら毎年来てるんだ。最近思い切りネット民だから、ネット情報見まくっているから、いやに来るなあ。って感じがしてるけど、考えてみたら秋には台風が来るもんだ。

それで最近嫌になることが、ネットやテレビの台風の報道の仕方。昔は、天気予報とかでも「大型の台風〇号が近づいています」とか言っていた気がするのだが、最近は違う。『何年に一度の台風』とか、『何年ぶりの台風』とか言う。だいたい、ものすごい数字を入れてくる。100とか、昨日は70だったらしい。(妹情報)

ビビるだろうが。

大型。とか、かなり大型。とかでいいやろうが。と思う。

何年に一度とか、何年ぶりとか言う必要あるのか。と言いたい。備えをしてください、って呼びかけるのはいい、全然。でも、雨とかでもそうだけど、経験したことのない大雨。とか、そんな言い方しないといけないのか。そんなこと言ってビビらせたいのか。とものすごく思う。そしてだいたいそう言うことを言っても、そこまでひどくもない。少なくともここ2年くらい、台風に限っては。私が中学生とかくらいにもこれよりすごい台風あった。なのに100年に一度のとか、70年ぶりの、とか。なんなの。どうやって怖がらせてやろうかと思ってるとしか思えない。メディアが。

ヒマなのかな。

怖がる国民見てると嬉しいのかな。

ってこれは考えすぎなんだろうけどさ。

とにかく、私は去年の大型台風の報道に疲れてから、もうネット、ニュースは見ないことにしている。台風そのものよりその前の情報の大袈裟さに疲れまくったからだ。それからは、見ないというか正確には、くる。と言うところだけ見て、自分の地方。となったら、はい。と思ってそれからは見ない。ようにしている。台風の備えはもう慣れているので、そろそろとなったらいつも通りの備えの確認をするだけ。それはきちんとする。それ以上の情報は入れない。そう言うふうにしている。それの方がぐんと疲れないのだ。

昨日も、台風の音で、今回は大したことなかったな。と思っていたあたりで心配性の上の妹からフェイスタイムがあり、台風大丈夫?70年ぶりらしいけど…。ときて、そこで初めて70年ぶりという情報を知った。でも一体何が70年ぶりなのか。と言う感じだった。ごく普通規模の台風だった。

アホらしい。

これからもネットやニュースは見ない。台風は特に。

必要最低限は見るけどね。