思い出したくない出来事

今日は色んなことがありすぎてグロッキーになった1日。

お母さんショックから一夜明け、快晴であったのでまた布団干しやら、色々な物を洗濯したりと体を動かし、なかなか気持ちよく働けた。それは良かった。しかしやはり最近はいいことがあった後は必ず辛いことがすぐにやってくるのだ…。なんで?なんで?って言いたくなるんですけど。それは弟からの年末の予定の連絡。上の弟からだ。30日の昼間に下の弟とともにお邪魔したい。というものだった。それは当然来るべきものだったので、私はいいよと即断した。私はおばあちゃんちに行くからと。何故かというと、上の弟は問題ないが、下の弟には絶対に会えない。会いたくない、のだ。これには辛いわけがある。去年の5月に下の弟の奥さんは初めての子を身篭った。わたしたち親子3人はとても喜んだ。男の子であった。しかし問題が起こった。出産ギリギリまでになっても名前を教えてくれない。候補も教えてくれない。何も、教えてくれない。そこまでは、それでもまあ、いいかと思っていた。教えないといけないわけではない。尊重しようと。そしてその後悲劇が、私を襲った。もう生まれる、という頃になってようやっと教えてくれた第一候補の名前が、私の元彼、いや結婚まで考えた男性の名前の漢字と一字が同じであった。二文字のうちの一文字だったが。そんな事を気にする方が神経質すぎておかしいと思う人もいるだろう。しかし結構存在感のある漢字である。その人のことを連想しないわけにはいかない。今ならもう平気かなと思うが、当時はまだ別れて3〜4年、その人を諦めるのは結婚を諦めるのと同意義であった病気の私にとって、彼の存在はまだ完全に思い出として昇華されてはいなかった。やはり辛い。その可愛いはずの甥っ子を複雑な気持ちで見ることになりはしないか。と。なので、私はその理由とともにその漢字のみの変更を求めたが、聞き入れてもらえず、しつこく食い下がった結果、お前がそんなこと言える立場か!!とひとまわり年下の弟にキレられたのだ。そこからの私は悲惨の連続だった。思い出したくはない。そこから今に至るまでの不調がずっと続いているのだ。その奥さんが実家に訳ありの人で、絶縁しているので、うちで産後の面倒を見てあげようと両親が決めた。それも思い返すと間違いの元である。私がそんなにボロボロの状態であるのに、弟の奥さんとその名を付けられた子供と(子供に全く罪はないのに)、同じ家で過ごす羽目になった。平静でいられるはずがない。それでも私なりに頑張ったつもりだ。奥さんとは笑顔で話すように心がけた。でもやはり赤ちゃんの顔はまともに見ることが出来なかった…。結局奥さんも情緒不安定になり予定よりかなり早く我が家を去ることになった。

それから弟夫婦は全く我が家を訪れなくなった。初めの頃は気にしていなかったが、どうやら私の態度がひどかったせいだという話になり、私は謝りの手紙を書いた。それまでにも弟とは話すのも辛かったので、手紙で気持ちを伝え合ったりはしていて、通り一遍の謝罪の言葉は受け取っていた。それで私は終わったことと思っていたのだが、それでも全然うちに来ないので、不思議がっていたら私のせいだと母がいうのである。それで改めて私からまた長い長い謝罪の手紙を頑張って書いて送った。が、スルーなのだ。どうも母の連絡ミスで謝って欲しかったポイントが違ったらしい。それ以来音沙汰なし。そういう状態である。いくらもらった手紙の内容がポイントが違っていても、病持ちの姉が真心を込めた長い謝罪の手紙を無視するという神経が信じられないのだ。私は。

だから今度は弟たちの方からアクションを起こしてくれるまでは私の方が会いたくないというわけである。こんな事態に陥ったのは完璧に親のせいなのであるが、だからといって弟夫婦の態度には、何もありませんでしたよ〜という風に接することは私には出来ない。そこまで出来た人間じゃない。私は。

そういったことを思い出したり、ちょと今日は他のこともたくさん色々あり、今日は本当に疲れで昇天してしまうのではないかと思った…。本気で。

昇天してしまっても全然構わないんだけどね!

今日は興奮して眠れないかもしれないな。