放置すること

犬だって冬の寒い日は寒いに決まってる。

なのにうちの親は何もしない。私が玄関にココを入れると、面倒くさそうな顔をする。悲しいことだ。今年もようやく真冬と呼べるような寒さになって来た。ココに夜ご飯を食べさせたあと、いっそう寒くなる頃合いの時間、私はココを玄関に入れる。毎年のことだ。しかし父の反応はもう見ることはないが、母は玄関の段通のじゅうたんが気になり、『段通が…。』と言って眉を潜めるのだ。情けない。飼い犬よりじゅうたんとは。ココは外飼いだが、玄関に入れてもらうなら、出来るだけあったかいところに行きたいみたいで、(当たり前だ)、玄関の三和土じゃ寒い、玄関の上に上がりたい!と主張してくる。犬が土足で玄関の上はダメだから、下にいてね。と言っても、寒いらしい、上がってくるのだ。なので仕方がないので、玄関のじゅうたんの上に新聞紙を敷き、その上に座ってもらうようにしていた。それならまあ直接は触らないしいいか、と。ココも、私はここまで。とわかっており、そこから先は絶対侵入してこない。繋いでいなくても。そういう信頼関係がある。しかし母は繋いでない、玄関の上にいる、が我慢できないらしいのだ。私が二晩連続で玄関に入れた次の日の今日、ついに母が動き出した。玄関にスノコを敷き、ダンボールを敷き、その上にどこかで買って来た犬用マットのようなものを敷いて、犬用ベッドコーナーみたいなのを作っていた。それはいい。全然いいのだけど。でもそうなると、今まではなんだったの??という気がしてくる。私が両親の冷ややかな視線に晒されながらココの面倒を見ていたのは何?最初からこうするべきだったんじゃないのか。という気持ちでいっぱいになった。それと同時に、自分もついこの間までされていた、積極的にではない、放置する虐待のことを思い出した。これは私と同じだ。私は弟からの理不尽な攻撃を受け、精神的に死ぬほど辛かったのに助けてくれなかった親。そしてココも、寒いのを自分ではどうすることもできないのに、家に入れてくれない飼い主。どちらも親が自分から積極的に虐待したわけではない。なにか自分たち以外の他のことが原因でつらい思いをしている、子ども、ペットを助けることをせずに放置する。のだ。放置と言っても、放置しているということにすらも気付かない親、というか人達だ。うちの親は。悲しい。そして咎めてもなかなか自分の非を認められない。わかってないから。気づこうとする能力がないから。父なんて理解できなさすぎて逆ギレするし。まあもう関わってないから今はどうでもいいけど。とにかく母もそうなのだ。放置するのは虐待だ、というのが未だに理解しきれずにいるようだ。それを今日思い出して少し辛くなった。もう忘れようと思っているけど、まだあれからそんなに日も経っていないので、記憶は生々しい。最近は本当に両親も老いてきたので、あんまり気にはしないようにしようと思ってるけど…。やっぱり辛かったなあ。。ココのことは母に今日ちゃんと言ったので、これからは気をつけてくれるだろうとは思う。ココが粗雑に扱われると自分と重ねてしまい悲しくなる。これからはこんなことがないように祈りたい。