ココと親

ココはかわいい犬だ。中型の雑種。もと半ノラ。とある公園で半ノラ同士の親のもとで生まれた犬である。中型なのに何故かジャックラッセルテリアの血が入っているのか、それっぽい顔だ。テリア系なのは間違いない。メチャクチャにテンション高いし、運動量も半端ない。うちはずっと犬を飼う家で、ずっと昔、団地暮らしから一戸建てになった頃から犬をほぼ切らさず飼っている。一度飼うと、いなくなると寂しくて、なにか物足りなくて、一年くらいで次の子を探してしまう。もう犬がいない生活ということは考えられないのだ。最近では、父が散歩をしてくれるのだが、それはとてもありがたい話だが、父にとってもいいことだと思う。ココのおかげで朝晩の運動にもなるし、メリハリの効いた生活になって、父の健康のためにもとても良い存在であると思う。私や母の癒しになっているのももちろん間違いない。

うちはオールドタイプの愛犬家であると思う。もう令和なのに、昭和だ。必ず外飼いであるし、中型犬を好む。一度ハスキーを飼ったこともある。なんだろう、犬は犬。外にいるもの。という感覚。犬小屋を与え、鎖でつなぐ。というのが定番だ。しかしさすがに最近になって、夏は猛暑、冬はかなり寒い。という日本の厳しい環境のもと、少しずつ変わってきている。真夏、真冬は玄関にココ用スペースを設け、そこに入れる。昼間は鎖を外し、庭に放す。ということが恒例になってきた。これは時代に沿ったものであり、良いことだと思っている。室内で飼う人が増え、ただでさえ外飼いというだけでちょっとかわいそう、という気持ちが芽生えてきたのだ。その上、私が自分と重ねてしまい、もっと可愛がってやりたい!!と強く思うようになってきたのもある。昨年私がとても調子が悪かったときに、ココをとっても可愛がることで私も救われていた気がする。だいたいうちの親は頭が昭和なのだ。20年代生まれだから、ある程度仕方ないのだけど。夏場冬場とも、玄関に入れてあげよう、と言い出したのも私だし、(両方とも始めはものすごく反対された)タオルシャンプーや泡シャンプー、ブラッシングでいつも綺麗にしているのも私。この夏場に私が1ヶ月ほどおばあちゃんちに行って留守をし、帰ってきたら、ココとそのまわり一面から異臭がしていた。うわ!っていうくらい汚れまくって、エサ皿なども洗われていなかったのだ。ココはハイテンションで元気だったけど。

そういう飼い主だ。うちは。まあ最低限のことはきちんとする。例えば狂犬病の注射。それ以外の病気の年一度のワクチン。そして毎日の散歩にエサ。これは最低限のことだが、ネットなど見ていると、これすらしていない人が世の中にはいるらしいから驚きだ。そういう人は飼い主になる資格はないと思う。まあその辺りはおいとくとして、うちの親の犬に対する行動、飼い方を見ていると、実に子育てと似ている。必要最低限のことはちゃんとする。しかし、それ以外はノータッチなのだ。辛そうだな、と察することとか、何かあったのかな。汚れている、きれいにしてあげよう。とかそういう心配りが欠けている。全…っく欠けている。気づこうともしない。そういうところが親としてもとてもダメなところ。だから私だって病気になったし。(これはこじつけ。最近は生まれつき弱かったんだろうというのが私の考えだ)とにかくダメダメな飼い主だと思う。でも基本の基本はちゃんとするから、そこまでは怒れないんだよね〜。面倒くさい。私にだって、パッと見には、ちゃんとした親に見えたんだろうから。。はたから見れば。まあ分かってる人にはわかってたんじゃないかな〜とは思うけど。それに、ま、父はどうやら障害のようだし、もう過去のことはぐちぐち言わないようにしてるけどね。調子も回復傾向であるし。でもたまに思い出して辛くなる。どうして今日ちょっと辛くなったのかというと、ココを玄関に入れたはいいけど、鎖が短くて、私は短いな、けどギリギリかな。って思ってたんだけど、どうやらやっぱり短かったみたいで、ココは頭をやけに布団から出して寝ていたんだ。それを母が、『ココが頭突き出して寝てる〜面白いね。』って笑って言ったから。そりゃあ鎖が短いから、重力を受けないくらいまで頭を鎖の根本に近づけていたんでしょうよ。一瞬で分かる。でも母はそれが分からなくて笑うのだ。そういうのがムカつくし、悲しくなる。冷静に、少し攻め口調で言ったらわかってくれたみたいだけど。とにかくああこうなんだよな、うちの親って。って事がちょいちょいある。でもこういうのは実家暮らしをしている人はやっぱりそれぞれいろいろあると思うから、うちだけが特別じゃないんだろうけど。