おばあちゃんもうすぐ100歳

敬老の日がやってきて、おばあちゃんのところに、100歳記念のいろいろお祝い品が来ていた。正確にはまだ99歳で、来年の1月で100歳を迎えるおばあちゃん。なので今年度に100歳を迎える人に、この敬老の日あたりで国から一斉に記念品を送っているらしいと思われる。内閣総理大臣から、県知事から、そして市から。総理大臣からは、銀杯だった。これは前から情報があって、立派な銀杯がもらえるらしい。と聞いていたのでどんな立派なものかと期待していたが、届いたのはお屠蘇を飲むくらいのサイズの小さな杯だった。なーんだ。こんなに小さいのか。と、拍子抜けした。一応小振りながらも立派といえば立派なんだけど。そして県からは一番適当と感じられる、風呂敷みたいな布でできた、ティッシュ入れみたいなやつ。これ、普通のやつやん?て感じ。それで、市からは、私はこれが一番いいじゃん、と思ったが、盾。中サイズくらいで、両開き。右側には市からのお祝いの言葉。左には、事前に提出していたおばあちゃんの写真と経歴を元に、似顔絵とこれこれのことをされてきた、○○さんは立派です!みたいなことがかわいらしい自体で書いてある、絵手紙のような、やはり表彰状のようなもの。なんかあたたかみがあって、その市からの盾が私は一番いいなと感じた。あとは、国からと県からの表彰状。これこそ表彰状という感じの、卒業証書みたいなやつ。筒に入っていた。まあ嬉しいものかな。こうお祝いされるとね。

おばあちゃんはもう100。という実感がいよいよ沸いてきたみたいで、もうあの世は遠くない。みたいなモードになっていた。いやまあ自然のことだから別にいいけどね。遺影のことなどを自らイキイキと話す。(笑)いいけどね。しかし今のところ足腰は弱ってはいるものの、自分で歩けるし、ごはんもしっかり食べられるのです。あと3年くらいいけるのではないか。とか思ったりもするが、だがそれはやはりわからない。やっぱり年は年なので。それがいつなのかは、神様しか知らないことだ。

とにかく、私も自分のことで、これから家を出るかとか考え中だけど、今までどおりおばあちゃんのうちに、たくさんお世話になるつもり。看護師さんとの面談に使わせてもらったり、時にはうちを離れる気分転換のために滞在させてもらったり。お世話になれる限りはお世話になろうと思ってる。これまでどおりに。おばあちゃんがあの世にいくのが本当に近いのなら、余計にたくさんの時間をおばあちゃんと過ごそう。そう思う。

お父さんとお母さん、そして訪問看護師さん

お父さんの認知症は仕方がないけど。お母さんの立ち回りが全くもってうまくない。私はもうお父さん無理だから。と言ってるのに、理解がないというか。私の病気を本当には理解できてない。どう辛いのか、日々これだけ言い続けているのに。もしかしたらそれなりに理解してるのかもしれないけど、ひょんなミスが多すぎて、とても悲しくなる。そういう時はやっぱりお母さんも発達障がいか、と思う。たぶんそうなんだと思う。

今日はおばあちゃんちに出向いて訪問看護師さんに会った。2日連続の外出はちょっとしんどかったけど、孤独が辛くて、外の人に会いたかったから頑張って行った。訪問看護師さんを利用するのは3回か4回目くらいだけど、みなさんとても感じがいい。3人でのローテーション?のような感じで聞いていたけど、前回と今回は同じ人で、私と同い年の女性。とても優しい。前回まではまだ様子見という感じで、今日初めて、家族の辛い事情を少し話すことができた、良かったと思う。とても優しい言葉をかけてもらえた。労ってもらえたような気がする。外の人に家族のことを話すことはあまりこれまでチャンスがなくて、それだけに今日は良かった。やっと外の人に言えて。

それでも30分という時間でうちのややこしい家族のことをすべて言うのは難しい。これからも少しずつ話していけたらいいなと思う。そして、前回、たまたま机の上に置いていたきのう何食べた?の漫画を見て、看護師さんが、これのドラマが好きで見てました!とか言って、今度DVDで映画見ましょう。みたいな雑談もしてくれて、今回もそういう話もしてくれて、少し、友だちみたいになれるかな、と、とても嬉しくなった。だって、今回のゴタゴタで、姉と上の妹とはもはやラインを出来るような感じではなくなってしまい、。話す人が減ってしまって。それがとても寂しかった。。家では相変わらず辛い日々なのに、話す人も減って…。悲しい毎日なんだ。孤独で。下の妹と、上の弟には連絡できるんだけどね。それでも、会える訳じゃない。寂しいんだよ…。

だから、同世代の友だちみたいな関係に、その看護師さんとなれたら。と、そういう気持ちもあって、頑張って会って。でも、すごく優しくしてくれて、本当に良かった。嬉しかった。最大で週3で利用できるらしいから、これから会える体調であれば、たくさん利用していこうと思う。体調も上向きではある。ピルも8か月目になってだいぶん馴染んできた感じ。もっと安定すれば、もっと可能性が出てくるだろう。いい方向に持っていけるように、看護師さんの力を貸してもらおう。と思う。いい訪問看護師の事務所を紹介してくださった、相談支援員のIさんに感謝だ。ありがとうございます…。

 

意味のあった苦難

おばあちゃんが施設に入ることがどうにか、動き出した。

私が強く母に意見して、母がついに腰をあげたのだ。うちの母は行動能力も決断力もない。ヘルパーのように世話をするのだけが得意とするところ、という性質だ。

おばあちゃんと一月以上を共に生活して私なりにいろいろ気づいたことがあった。おばあちゃんはもはや一人暮らしを快適とは思っていない。一人で寂しい。どこもかしこも痛くて辛い。具合の悪い病人の私でいいからそばにいてほしい。そんな感じだ。歩き方はヨロヨロ。認知症ではないが、99の為、物忘れは尋常じゃないレベル。これから猛暑が来るのに、適切にクーラーを利用できるのか、、私は心配で堪らなくなった。夏をここで過ごそうと思っていたけど、私もいつどうなるか、疲労が募っていつ入院するかわからない身。もう、施設に入るのがおばあちゃんのために必要だ。と痛烈に感じたのだ。しかしお母さんは動かない。歩けるから、認知症になってないから、一人暮らしをさせている。自分がヘルプに来るからいいと思っている。実際頑張っているのはわかる。でも家にはそれこそ認知症の父がいるのだ。いつまでダブル介護するつもりなのか。

私は我慢できずに母に強く意見したのだ。おばあちゃんに一人暮らしはもう限界だと。一月以上ずっといっしょにいたから、わかる。と。生きてるのすらしんどそうなのに、全部自分で出来るからと一人でさせ続けるのは過酷で可哀想だと。職員さん、仲間に囲まれて笑って生きていく方がいいに決まってると。母は100まで。とか歩けなくなるまで。とか言っていたのだ。歩けなくなる、その日まで?じゃあ歩けなくなって、次の週からホームに入れるとでも?何を考えているのか。決断力がないにも程がある。せっかく要介護認定が下りたというのに。もうすぐ猛暑がやってくるというのに。おばあちゃんをたとえ2時間でもひとりぼっちにしといて平気なの?

かなり強く言った。ちょっと泣きそうだった。

私だって、病気が治ってなくて、疲れて、ヘロヘロで、入院を検討している身。それなのに、こんなことを母に言わないといけないなんて。なんて情けない…。😢

その私の訴えを聞いてようやく母はおばあちゃんに施設に入ることを提案した。ようやく、、その話が現実的に動き出したのだ。

死ぬほど疲れた…。。

折り悪く、ピルの休薬中だ。なんでこんなことが重なるのか。

しかし、やりとげたよ。

兄弟に報告すると、医師の弟は、ファインプレーだよ。頑張ったね。と言ってくれた。妹も、おばあちゃんのためにそれが良かったと思う。よくやったね、お疲れさま。と言ってくれた。

私は家じゃないところに行きたくて、行けるのはおばあちゃんちしか他になくて、仕方なく行ったところがあった。超高齢者のおばあちゃんとの生活は楽しいことは少なかった。辛いことの方がはっきり言って多かった。

でもそのおかげで、私の言葉に説得力はあったと思うし、結果としておばあちゃんの寿命が伸びることに繋がったのかもしれない。それなら、絶対にこの一月ちょっとの日々には意味があったんだ。

無駄じゃなかった。

よく、頑張ったねって、みんなからも労われて、少し報われた気がした。

疲れの限界は

疲れて疲れて、疲れた、、とにかく。

病気自体は快方にむかっていると思うけど、環境が辛すぎて。

実家を出たのはよくても、おばあちゃんとの生活は苦難の連続だ。やはり99歳とあれば出来ることはしてあげたいと思ってしまう。こっちはヘロヘロでも、体力がその日の限界に達していなければヘルプする。家事の手助けであればまだマシだ。おばあちゃんは、言葉遣いがとても無神経な人だ。年のせいも少しはあるが、元々そういう性格をしている。3年前もチャレンジしてみたおばあちゃんとの同居も、私の体力というよりおばあちゃんの性格のキツさで頓挫したようなものだ。今99歳になって、96歳の頃よりかは少しだけおとなしくなったが、その分頼りなくなった。加齢は仕方ない。しかし、しかし…。こちらはいさせてもらってるんだから、我慢しないといけないのかもしれないけど。あんまりな物言いの時もある。そちらは超高齢者だが、こちらも超具合悪い病気の人なんだよ…。そのへんがうまくいかない。おばあちゃんを怒りたいはずはない。しかし、余裕がない時にちょっとそれは!というような言い方をされるとたまらない…。実家に一時戻ろうにも今はアメリカから私の恐れる姉が帰ってきている。辛くても帰れない。どんどん疲労が募る。。ホントにしんどい。レキソタンを1日のマックス近くまで頓服で飲む日々。辛い…。

しかし今日は久しぶりに外の人と話せた。障害者支援施設のようなところがあったのを思い出して行ったのだ。本当はもう病院に入院しようと思って頑張って出かけたのだが、紹介状がなくてはダメだったので、(ダメ元で行ったのだ)仕方ないからせめて帰りに支援施設に行ってみたのだ。収穫はあったと思う。すごく疲れたけど、外の世界と繋がれるかもしれない、というのは希望だ。車にしばらく乗れた、外の人とちょっとだけど、ちゃんと話せた。本当によかった。外に出られないのは辛かった。ずっとおばあちゃんと二人で。疲れて…。

どうなるかと、本気で怖かった。疲れが限界を超えてる。私はもうダメだ…。昨日はそう思った。今日もプチアクシデントがあって、また疲れて、辛かった…。

でもまだ私は生きてるよ。

長野に住む弟はいつでも来ていいよ、と言ってくれている。

有難い。

でも、飛行機に乗って、その先の4人の子供のいる家に滞在することは出きるのか。完璧な自信はない。

しかしよし行ける、と思ったら即行くつもりだ。

それまでは神様が守ってくださると信じるしかない。

グループホームがわりの生活

1週間前に家をほとんど逃げ出すように出てきた。家はもう限界、行くところもなく、入院なんか絶対嫌で。途方にくれて、最後にたどり着いたところはおばあちゃんの家だった。3年前にも家を出たかった時期があり、自宅から10分のおばあちゃんち、その2階の部屋を整理して畳を新しくし、私の部屋を作っておいたのだ。(結局その時はおばあちゃんちでの生活は、一月しかもたなかったのだが。)とにかく今回、3年前に一応私の住める空間を作っておいたことが幸いして、とりあえずおばあちゃんちに避難というか、移住というか。仮ではあるけど、そのおかげで一応実家を出れたのだ。

おばあちゃんは99歳で、料理や掃除のヘルパーは来てもらうが、一応自立している。身体介護はどうにか不要。それだけでも偉いと思う。なにせ99だから。

しかし私も病気でしかも今は元の病気プラス2つ目の病気の治りかけ。かなり良くはない。はっきりいって入院レベルだ。しかし私は一度精神科病棟に入院したことがあるが、あそこでは快復は望めない。と思っている。よけい病む。入院は。それが私の経験からの持論。よっぽど至れり尽くせりのすばらしい病院ならいいかもしれないけども。私が以前入院したところがひどかったのかどうかはわからない。しかし、ここは、人権がない。とうのが、当時思ったこと。あのようなところは絶対ごめんだ。

おばあちゃんが受け入れてくれたのは本当にありがたいこと。しかし、おばあちゃんは看護師ではないし、超高齢者。しかも少し無神経な性格だ。疲れさせられることもしばしば。仕方ないことだが。かなりお母さんのフォローを受けながらのここでの生活を送っている。私の気持ちも体調も少しは整ってきたが、まだまだ不安定で、一日に何度もお母さんに来てもらっている。そこはおばあちゃんが一歩引いて見ていてほしいところなのだが、そういうのが出来ない私のおばあちゃんだ。お母さんは娘なので、容赦なく話しかけてきて、何事かやってもらったりしている。そして、私にもお母さんのことなどを言ってきたりする。これがけっこうストレスだ。私としてはここは老人と障がい者グループホームのようなところで、それぞれヘルパーや世話人の世話になりながら生活している。という認識。しかし、おばあちゃんはそんな風には割りきれていない。お母さんがくるとグダグタになる。99だから仕方がないが。それで今考えているのはお母さんのかわりに訪問看護師さんやヘルパーさんに来てもらうということ。そうすればそれぞれが頼る人が明確になり、お互いがあまり干渉しない生活が出きるのではないかと。それにおばあちゃんも99、いつ本物の老人ホームに行くことになるか。私もいつまでもここにいられるわけではないだろう。いつかは本物のグループホームへ。だろう。今はその慣らし期間だ。と思っている。おばあちゃんのことは同じ立場の入居者。ちょっと面倒な性格の人。くらいに思って接しようと思っている。おばあちゃんちに居候している孫。というのが実際のところだろうが、私の気持ちとしてはそんな感じだ。

いろいろ自分を励ましつつ少し頑張らないとな。せっかく家を出たんだから。

おばあちゃんの要介護認定

おばあちゃんは99歳になった。うちから車で10分のところに住んでいる。一人暮らしである。

認知機能は全く衰えていない。それはすばらしい。しかし、99歳。歩き方はヨロヨロ。杖、もしくは歩行器を使う。ごはんは宅配弁当。たまに母が持っていく。最近はベッドから起き上がるのにも苦労しているらしい。当然だよなあ。

おばあちゃんは今要支援2らしい。今老人ホームに入る、もしくはデイサービスを終日使うのには要介護が取れないといけないという。おばあちゃんは大正生まれの99歳であるのに、老人ホームに入れない。サービスも限定的にしか使えない。これはなんたることだろう。

今は老人の超高齢者がたくさんいるので、厳しくなっているのだろうかと推測する。それにしてもだ。99歳だよ?白寿よ??  

お母さんが認知症のお父さんを見つつ病気の私を見つつ、おばあちゃんも見ている。大変だ。本当に。私も少し話を聞くことくらいはできるけど、実際行動するのは全部お母さんだ。大変すぎる。

ついに今日、その要介護認定を取るために、市役所?かどこかの人が来て、おばあちゃんの普段の生活、歩き方、などいろいろを見てもらい、調査というか、試験のようなものをした。担当のケアマネジャーさんが親身になってくれて、少しオーバーにしてください。絶対に、本当はちょっと無理だけど、出来ます、とか言わないようにしてください。と事前に綿密に作戦会議をしていた。まあ、作戦といかずとも、本当に本当のところギリギリで厳しいんだから、正直に言えばいいのだ。多少盛っても、オーバーとまではならないだろう。私はおばあちゃんが96か97のとき以来会ってない。その時はまだそこまでピンチな感じではなかった。ちょっと危なっかしいかな、くらいで。でもあれからずいぶん進んだらしい。そうだよなあ…。でも頭がハッキリしてるだけでもすごいよ。それだけでも有り難いよね。しかし、その査定のための病院でのもろもろの検査で、認知症検査が100点満点だったらしいのだが、それは喜ばしいことのはず。本来。でも、そのおかげで、要介護認定においては不利かもしれない、もしかしたら。という。認知症であるということが、要介護においては結構優先されることもあるらしい。そうなの?…。いやまあそれはわかる。わかる気がする。お父さんが認知症だから、認知症が進んだ方が素人には大変。それは、よくわかる…。でもそれと同じくらい、体のきかなくなった99歳も大変よ…。って思うよ…。

とにかく、おばあちゃんの要介護認定が無事おりることを祈るよ。そうすれば使えるサービスも増えるし、施設に入るという選択肢も持てる。お母さん、この一年で5キロ痩せたんだよ…。まあもとから膝のために3キロ痩せたい。って言ってたから、ちょっと喜んでたけど。(笑)今も痩せすぎじゃなくて、ちょっとスリムになった。くらいだからいいけど。でもお母さんの負担軽減のために、おばあちゃんの要介護、取れたらいいなあ。

10年後の目標

北京オリンピックが終わった。始まる前は見られるかわからないなというコンディションだったが、途中から結果なんかを少しずつ見れるようになって、最後までほとんど中継じゃなくてハイライトだったけど、まあ見れた。日本選手の活躍もしっかり目撃した。すごくいいオリンピックだったなあって思う。審判とかの問題は過去最高に山積みだったと思うのは否めないけど。羽生くんに感動したし平野歩夢選手にはしびれた。他にもいい場面やインタビューをたくさん見れてよかった。

今日閉会式をお母さんと見ていて、次の冬季オリンピックはイタリアのミラノだ。となって、いいね〜〜次のオリンピック行ける人は。ミラノだよ!?って話していたら、『ママヨーロッパ行ったことない。行きたかった。。』みたいなことを言うので、これから先の人生で行けるチャンスあるよ!お父さんが施設とかに入ったとして、その時お母さんがまだちゃんと歩けてボケてなければ全然行けるよ。って言ったら、○○(私)と行きたい。一緒に。って言ったので、じゃあ私が行けるようになったら一緒に行こう、ヨーロッパ。10年後くらいに。と話した。なんか幸せだった。今毎日ホルモン治療でしんどくてたまらなくて、未来の事なんか全く考えられない。これからのことも不安でつらくて泣いてばっかりの毎日。でも不意に、ヨーロッパに行こう、いつか。って話して、何となく希望みたいなのが湧いてきた気がした。今辛くても、1日ずつ日にちを重ねて生きていけば良くなる日もくるかもしれない。それを繰り返した先にもしかしたら、飛行機に乗って外国に行ける日も訪れるかも知れない。そんなふうに思ったら、少し気持ちが明るくなった。楽しい未来も存在するのかもしれない、と思えた。有り難かった。いつか治ったら海外旅行しよう。って前からたまに言ってたけど、こんなに調子が悪くて先が見えない時だからこそ、いっそう嬉しい気持ちになった。いっしょに行きたいと言ってくれる人がいるんだってことも改めてありがたく感じた。だから、まだしんどいけどもう少し頑張れそうだなって思えた、今日のささいな出来事。(^^)