病める者は幸いである

最近聖書を読むようになって、病める者は幸いである、貧しい人は幸いであるの意味を考えて、ちょっとわかってきた感じがする。それは、私がまあまあ貧しいし、まあまあ病める者だからかも。それで、今は精神的に少し良い状態になってきたから、そういうことを考えられるようになってきたんだと思う。病める者は、たまに調子が良い日があってちょっとでも普通っぽいとすごく嬉しい。ほかの人は当たり前の、家事ができる。外出ができる。今日は両方できた!とかでも、すごく充実した気分になる。だから、幸せ。幸いである。となる。単純だけど本当にそう思う。貧しい人もそう。ふだんあんまりいいものは買えない。けど、たまーに、買う。そしたら、やった!!これ買ってしまったよ!となる。それもそんなに高いものではなくても。ここしばらく何年か一万円以上のものは買っていない。たぶんこれからも買えないと思う。だけど、なんか幸せ。二千円のものを買うと幸せを感じる。お金をたくさん持っていたら、いくらでも高いものが欲しくなってキリがなくなる気がする。だから、貧しい人は幸いである。になる。

フィギュアスケートの三原舞衣ちゃんを見てると、すごくそれを感じる。彼女も病める者だから、普通に滑れることに、ものすごく幸せを感じているよう。滑れない体調の日がよくあるんだろう。だから、ほかのスケーターと違う。結果もほしいけど、滑れることが幸せなんだ、彼女は。だからもあって、彼女のスケートにはほかの選手にはない感動がある。坂本さんの勝利はしびれる感動がある。でも三原舞衣ちゃんの勝利にはじんわりとした感動がある。

病める者は幸い。貧しい人は幸い。

聖書の教えはこんなことではないかもしれないけど、今の私の気持ちはこんな感じ。