きっともうすぐ

グループホームに行くと決めて、相談支援事業所の人と会う日ももうすぐ。

楽しみだ。もう目星もつけた。行くホームも。ネットで、障害者グループホーム、と打ち込んでも4〜5件しか出ないんだけど、事業所の人が県のホームページの、ここのところにリストがありますと教えてくれた。実際は沢…山、あった。それをプリントして、それを住所をもとに一つ一つネットで調べて、空いているかどうかメールして。いろいろやった。ここのところ。少しずつだけど。それで、なんとかここから近すぎず遠すぎず、すぐには就労できなくても、しっかり朝起きることができなくても、いいです。オッケーです。というところを見つけた。あるんだ、探せば。とても、嬉しい。ここから出られる。というか、ここ以外で暮らせるところが、ある。この私が。本当に、有難い。頑張って福祉課に電話してよかった。相談支援の人がいてくれて、有難い。お金も、障害者年金がもし取れなかったとしても、生活保護が支給してもらえる可能性があるらしい。親が健在で、持ち家があってもだ。そうだとは知らなかった。何年か前に作業所に行ったときは、生活保護が出るのは全部家とかを売り払って、なにも無くなったら。そうしたらもらえる。と言われていたので、てっきりそうなのかと思っていた。でもどっちにしろもうそんなことはどうでも良かったけど。もう私の命がもたないと思ったから、親の老後の資金でもなんでも差し出してもらおうと思っていた。だからギリギリまで判断できなかったというのも、まあ、ある。でもなんとか究極の親不幸者にはならずに済みそうでよかった。まあ、生きて元気でいるだけで、私は親孝行していると個人的には思うけどね。

とにかく目星をつけたとは言っても、本決まりしたわけではない。これから見学に行って、相談して、決めます、って言わないといけないから、もう少し体力がいる。あとちょっと、やることがある。それを乗り越えられれば。。後は出るまでにこれ以上大ケガしないことだ。最近本当に危険で、私もキレやすい&傷つきやすくなってるし、親の方もビクビクしてる感じ。でもその割にミス、適当な物言いは全く減らない。だから、出来るだけ関わらないよう、必要以上にしゃべらないようにすることが賢明だと思う。何か気づいても、見ぬフリ。これは難しいんだけど。でも手を出すと痛い目を見るのは私なのだ。これはもう十分に学んだ。親二人とも私がかなう相手ではないのだ、もう。だから、どうでもよいことだけ話し、ご飯だけ食べて、省エネで過ごすことが大事だ。とにかくあと少しの辛抱なのだから。この前ネットの心理テストで、あなたは我慢できるタイプか、というのがあってしてみたら、私は、ゴールが見えれば我慢できるタイプ。だった。そのときはふーん。そうかな、って思ったけど、それが本当なら、今はもうゴールが見えてきたわけだ。なら、大丈夫だ。ちょっとつらくなったら、これから行くつもりのホームの間取りを見て、妄想して元気を出そう。今もうやってるけどね。きっと大丈夫、私の少し先の未来は明るいと信じよう。

アメリカンジョーク

毎日つらい。グループホームに行くって言ったって、なかなかはい、じゃあどこかに決めよー!ってならないし。体調もなかなかよくならないし。もう、無理なのかな。って思う時もあれば、いや、自分まだまだ生きられる、全然行けるし!って思う時もある。気持ちが変わりやすくて、でもやっぱり辛い。

いつも電話に出てくれるというか、このコロナ禍、暇な人はアメリカのお姉ちゃんしかいないので二日に一度は電話してしゃべってる。親の愚痴も当然入っちゃうけど、最近はというか今日は、楽しい話をしようと思って、アメリカでの生活の話を聞いたりした。旦那さんの話、お義母さんの話。そんな話をしてるうちに、お笑いの話になりアメリカのお笑いとはどんなものか。みたいな話になった。私は辛いときはいつもYouTubeでお笑いとかよく見るので、けっこう日本のお笑いは知ってるつもり。とかいう話をしてたんだけど、お姉ちゃんはあまりテレビを見ないそう。見なよ!って勧めたけど。でもアメリカの笑いは大雑把だ。っていつも言う。それはなんとなく、感じてはいるけど。アメリカンジョークとか。そうよね。って。で、Eさん(お義母さん)のジョークはつまらない。とか言うので、おお、ホンモノのアメリカのおばさん(70代だが)は、日常どんなジョークを言うのか、聞こうじゃないかと思って、聞いた。夏の暑い日、姉はアリと対峙していた。大発生して家の中まで入ってくる、アリ。外に出て巣を壊滅させようと、日々頑張っていたらしい。するとその様子を見たお義母さんが姉の旦那さんに言った。『ボビー、〇〇子が毎日こんなに頑張っているんだから、バズーカを買ってあげたらどう?』これだ。ザ・アメリカンジョークだ!私は大笑いだ。いいね〜、アメリカ。これぞアメリカではないか。姉は、面白くない。と言っていたが、私にはとても面白かった。いかにも、だからだ。アメリカのお母さんのギャグ、ここに極まれりだ。あと姉の旦那さんのギャグも聞いた。これも大ウケした。高速道路のフリーウェイを車で走っていたところ、事故があったらしく、前方に煙が。それを見た旦那さんが、『フリーウェイバーベキューだ。』最高。なんでこんなにアメリカ人て、こんなにもアメリカ人なのか。面白すぎだろ。日本の芸人が言っても全く面白くないのだが、アメリカの一般人が言うとめちゃくちゃ面白い。先週の一件以来、久しぶりに声を出して笑った気がする。とりあえず姉のお姑さんと旦那さんに感謝。

心は決めたけれど

グループホームに行くと、心は決めた。

相談支援事業所の人に電話で話し、来月頭に面談の日にちも決めた。そこでとりあえずホッとした。その面談は、受給者証というものを作るための事務的作業であるらしい。受給者証を作らないことにはそういう福祉施設を利用出来ないので、必要な手続きなのだそうだ。その際にこれまでのこと、現在の状況などを詳しく報告というか、説明などをしなければいけないらしい。そこが、その手続きをすることが、私には嬉しい。その道の専門の人に、今までの辛かったこと、今の辛い状況をしゃべることができる。それが、嬉しい。やはり私は今、家族しか繋がっている人がいない。家族に嬉しいことも、辛いことも、全部、家族によってもたらされている。そして、今はとっても辛い状況。親が頼りにならなすぎて、私には負担が大きすぎて、もう耐えられないところまで来た。そのことを誰にも、家族以外のだれにも、家での辛いことを言うことが出来ずにいた。それを話せる。今まで辛かった。と言えるんだ。他人が聞いてくれる。ねぎらいの言葉をもらえるかもしれない。本当にそういうのが今ほしくてたまらないのだ。頑張ったね、って言ってほしい……。今までちょくちょく姉妹の誰かに愚痴ったりはしてたけど、どこか親の愚痴というのは聞かせるのが申し訳ない気持ちもある。そして、親の気持ちもわかる、などと言われることもあった。ほかの兄弟姉妹が私の言うことに、心から同情してくれ、助けてくれればどれだけ有り難かっただろう。うちの兄弟は、みんな少し、我関せず。なところが、ある。家族としての愛情は、親孝行したい気持ちは、ある。でも、親がヤバい、辛い、と私が言っても、そこまでじゃなくない?くらいのテンションで、しかも本当にヤバいとあまり認めたくない、と思っているフシもあった。私にはそれがとても悲しく、冷たく感じている。とても。だからとっても孤独。今。少し前から、今もずっと。親と仲良く出来ていたときはもちろん孤独感はなかった。面倒をみて、ずっといっしょに暮らせたら。とも思っていた。でも、ちょっと今の状況は、私の手には負えない。認知症の父と、とっても頼りなく、いい加減な母。物忘れも頻繁になりすぐケンカしてしまう母。もう、降りたい。この実家から。病気の私をずっと支えてきてくれた恩はある。でも、今は私が老いた親二人を見守っているような、そんな状況に変わりつつある。経済的には、まだ親の元で養ってもらっているのだが。とにかくそのあたりが面倒くさくて。気持ちも複雑になってて。でも、考えても、どうすればいいのかわからなかった。だからただ、出来るところまでやろう。って思ってた。それで私なりにギリギリまで頑張ったつもりだ。でも、本当に限界が来たのだ。これ以上ここにいたら、私の神経、体が持たない。この身があぶない。と感じた。なのでもう、あとのことはどうでもいい、家を出よう。と思ったのだ。

私の今の明け方寝て、昼頃起きる、という生活時間。。ホームに入れてもらえるならば、少しは改善しようと思うが…。この状態で入所させてもらえるだろうか。お金の都合はうまくつくだろうか。不安はたくさんある。でも、とりあえず決めたからには、入れるように最善を尽くしたい。このあいだ話した相談支援事業所の人、話のわかる人っぽかった。とにかく、話を聞いてもらえる。それだけでも私はちょっと救われる思いがしている。

グループホームへ

孤独でさみしい。

今日ついに市役所の福祉課に電話をした。どんな手順をふんでグループホームに入るのか聞いた。まず計画相談書?というものを作るらしい。そのために、計画事業所みたいなところに連絡してそこの人と面談?とかして、どこのグループホームに入るかとか話して決めていくそうだ。ふーん。前に作業所に行ったとき、そういうの、やったな。でも作業所とはちょっと違うもんな。グループホームって。住むわけだし。お試しで住んだりとかしてみるらしい。それはいいけど。どこの人がいいのかな。その事業所のリストをまず郵送で送ってくれるんだって。ふーん。前の作業所のときの人はやめた方がいいもしれない。ちょっと仲違いとまではいかないけど、ちょっとだけいやな気持ちにさせられたから。男の人だったけど、私より若い。とにかくちょっと嫌な思い出がある。優しい人とか、リストの名前だけみてもわかんないよね。でも決めないといけないんだよね。うん、まあ、リストが来たら考えよう。とにかく、この家を出ることが大事なんだ。不安があろうと、失敗しようと、とにかく一度出るように努力しよう。このままだと、本当に病気のまま引きこもりになるかもしれない。グループホームでも何でも、とにかく出ないと。ここまでピンチになって、やっと出る気持ちになった。実行にうつすことが出来るようになってきた。本当に、早く離れたい、父母から。グループホームが、どうしてもうまくいかなかったら、今は入院してるおばあちゃんの家に一人暮らししようかな。。でもそのうち退院して戻ってくんのかなー。わかんないけど。とにかく、誰にも心を寄せられなくて、今すごく寂しい。上の妹はコロナ疑いだったけど陰性だったって。よかったけど、家がすごいことになっているらしい。それはどうでもいいけど、とにかくも、腑抜けのようになってる、今、私。でも元気になっても困る。お母さんとついまた話してしまうと、必ず怒るポイントが出現してしまうから。部屋で死んでた方がいいんだ。心の安静のためには。しんどいのはもういやだ…。早くホームが決まるといいな。。

希望がない

希望ない…。って感じ。

コロナのせいもないことはないけど、家が末期的に希望がない。

お父さんはまだいい。認知症だけど。

お母さんだ、絶望的なのは。

なんでああなんだろう…。どうにかなんないかなー。ってまあ、お母さんしかいないからそうなるんだけど。でも、どうしようもないもんなあ…。今の状況。他に行くところもないし、会う人もいないし。グループホームに行くから!って何かあるたびに言うけど、実際それを実行に移すのは容易なことじゃない。それがわかってきた。最近。なんでって、私病気だから。家以外のところに住む、のは…。難しい。かなり。頑張ってやってみよう。かな。って思っても、ここじゃないところ。ここじゃない部屋。。まではいいけど、どんなふうに外出できるのかな。どんなふうにお風呂はいるのかな。いろいろ心配がたくさん。馴染めるのか…。って。健康なら…。どこにだっていける。集団生活も、苦手だけど、まあ、やってみるか!ってきっと思える。と思う。でも、今の私は。作業所で働けるのかも、わからない。外出も、調子のいい時しか、行けない。スタッフさんにわかってもらえるのか。不安で仕方ない。最近皇后雅子さまの記事を読むとなんか泣けてしまう。体調を整えて臨まれた。とか、めっちゃ頑張ってる。みたいなのを読むと、そうだよね〜〜つらいのよ、簡単そうに見えるこんなことだって。って。泣きそうになる。でも雅子さま天皇陛下がとっても、ものすごく味方でいてくださってるから、正直ものすごく羨ましい。お立場からすると一般人の私より物凄いプレッシャーがおありだろうけど、一人の人としては、病気の人間としては。家族の中に、完全に頼っていい人、頼れる人がいてくいれる。すごく、羨ましいと思ってしまう。

私にとってのお母さんもそうだったはずだ。ちょっと前までは。でもなんか最近は変わってしまった。それは加齢のせいかもしれないし。お父さんが認知症になったからかもしれない。でも、もとからそういうお母さんだったのかもしれないとも思う。今まで私に余裕があったから、我慢できていただけかもしれない。またお母さんにも、それは当てはまって、余裕があったから?今みたいににミスばかりしないで、言ったら逆ギレ、みたいなことにもなってなかった、だけかもしれない。。とにかく、今の状態はしんどい。とてもしんどい。外はコロナ。家は認知症の父といつもケンカばかりの母。。せめて、母とケンカしないのであれば、やっていけそうなのに。私も生真面目で正論ばっかり言ってるから、ダメなんだろうなって、思う。けど、なかなか変えられない。特にお母さんはいい加減な性格。つい言ってしまう。いろいろな所で。それで、突っ込まれた母は、ムキになって、怒る。怒るから、私もキレ返してしまう。いいことなし。。ほんとどっか行きたい。けど、行けないんだ。。だから、希望がない。と思ってしまう。まだ私は絵を描いたりしてるから、少しは恵まれてるのかな、とか考えてみても、つらいのは変わらない。いや、やれることがあるのはいいんだけど。でも普通にしゃべって笑って。ってことがすごく少なくなってる、このところ。本当にグループホームに行けたら、いいんだけど。とにかく、月曜になったら市の福祉課にでも電話してみようかな。本当は行くのがいいんだろうけど、体調面もあるし、コロナもあるし。うん、まずは電話だ。相談に乗ってもらおう。じゃないと今のままじゃ八方塞がりで、たまんない。。

雪とコロナと高齢者

ただいま、雪である。ここは雪国ではない。九州だ。日本海側だが。そしてうちは住宅街だが、けっこう山を上った上の方にある。なので水害などの時は意外と安心なのだが、雪に弱い。そこまで標高が高いという訳ではないが、わりと雪が積もりやすく、近くに店がないからだ。車が出せないと、ちょっと辛い。バスは通っているけど。今日で雪が積もって3日目、買い物に出ていないので、食べ物がない…までにはいかないが、あれが少ない、これが足りない。などといろいろ出てきた。もっと貧しい国や、日本でも経済的にとても苦しい人からしたら贅沢だろうが、やはりと、バスで買い出しに出た。母と二人で。買い物をリストアップしていたら、というか車じゃない時点でわかっていたが、荷物が多く持つのが辛いので、旅行用のコロコロのついたカバンを持っていくことにした。スーツケース、ですね。いわゆる。それの小さいやつ。本当は今こそ買い物用のコロコロ、欲しいな!!ってすごく思ったけど、あいにく持っていない。で、どうするか…。妹が置いて行ったベビーカーで…。笑 いやそれはないな…。などといろいろ考えていたら、あった、コロコロと名のつくものが。旅行の、あれ!となって実行した。結果大変良かった。転がせたから。笑 白菜とか、牛乳とか、転がせたから、よかった。でもあれって意外と小さいから、買い物袋が一つしか入らなくて。なのでスーパーのレジの邪魔にならないところで中身を入れ替えて、重いものだけ入れ、お菓子とか納豆とかを手に持ち、母と無事に帰還したのだった。よかった…。

本当に雪はたまらない。寒い。寒すぎる。九州なのに氷点下だよ??この3日くらい。たまったもんじゃないよ…。(泣)暖房してるとブレーカー落ちるし。この冬何度落ちたか。最近は、これとこれと、ここまで。これ以上つけると落ちる。とわかってきたので、こっちつけるから、そっち消して。みたいに言うことにしている。じゃないと、この寒さで、ブレーカー落ちて、上がらなくなった…。とかなったら、怖すぎる。だからとても気をつけるようにしている。お母さんとかがうっかり電子レンジをつけたりしないように注意している。ご飯を炊くのは午前中にする。その時間は私が寝てるから、暖房が確実に少ないからだ。まあ、いろいろ考えて頑張ってるんだ。

私の住む県もコロナがやばいことになってきた。もうどこもそうだろうけど。なんか、雪と共にどんどん増えて、閉塞感がハンパない。それに加えてなんかいつも母がミスらないか、父が散歩で転ばないか、お風呂で死んでないかとか、いつも考えているから、なんか、私はなんのために生きているんだっけ??ってちょっと混乱してしまっている。希望がない。と言ったら大げさだけど。先週、正月に母に会食を止めた一件のゴタゴタでもう愛想を尽かし、もう本当にグループホームに行く。と断言したと思ったら、翌日から雪の日々が始まった。それからなんか食料とか、灯油とか電気とか、ライフラインのことしか考えてないのよね。だから、なんか私、何して生きてたっけ?この前まで。って、ちょっとわからなくなってきている。そう、ついでに昨夜、母の母、私のおばあちゃんが病院に搬送されたのもある。幸いすぐに命に直結することはなかった。でも、97歳。あと何日かで98歳なんだ。話を聞いて、ああ、おばあちゃん死ぬんだ。って思ったもん。だから、余計に混乱してるのかもしれない。今入院してるけど。面会謝絶。たぶんコロナのせいだろう。その際の、救急車の手配の仕方とか、自分がおばあちゃん宅に駆けつける、という際のあまりの母の不手際に呆れてもいる。私の医師の弟に(母には息子)、すぐに救急車をよべと言われたのに、私に、どうしよう、タクシーが捕まらない。と泣きそうな顔で言った。なので、まず119しなさい。お母さんはそれから。って私が言った。そのあたりで、また、ガッ…カリ、しすぎて。呆れるを通り越して。ダメだ、この人は。って思った。そんなこんながあったから、なんか希望がない。みたいな気持ちになってるんだろう。

雪はもうすぐ明ける。コロナはまだだけど…。私は家を出ることが出来るんだろうか。この頼りない、親を置いて。

 

同県の息子一家と会う親

今の時期、同県だからと言って、2時間かかるところに住んでいる息子夫婦に会ってもいいのか。。ってモヤモヤしている。一番下の弟はまだ30前半で、教師だ。子どもはひとり。たしか2歳。この弟は私とイザコザがあった例の弟だ。息子くんの名前で、、悲しいことになってしまった、やつだ。そんな感じなので、コロナになる前も、同県に住んでいるのにほとんど会っていなかったのだ。ちょっと奥さんが変わった人なので、もう私はあまりくよくよ考えないことにしたのだ。世の中にはいろんな人がいるので、わかり合えない人も存在するんだな、という考えでまとめることにした。そんな感じだ。でもまあ月日というのは傷を癒す効果があるので、私も最近は弟本人とはすこしずつ連絡をとるようになっていた。私は事なかれ主義だが平和主義者でもあるので、出来るなら仲良くしていたいではないか。っていう、それだけなんだけど。

まあそんな雰囲気なので、暮れか年明けに、会いたい。と母が言っていても、あー、会えば?いいんじゃない?ってノリで何も考えずに言っていたが、いざ日にちが決まると、それは来週の大寒波のちょうど一番ひどい日だった。最高1度、最低マイナス3度という予想の日だ。恐ろしい。夜ご飯を食べるという。恐ろしい。ホテルの一室で。そこは地元の人もよく会食などで利用する近場のホテルだ。だいたい流れで温泉に入る、っていうのが定番だ。お風呂…。お、恐ろしい。。75歳がマイナス3度で温泉。死ぬよ。これで酒が入ってたら。完全アウトだね。しかも、うちの父はたしか不整脈かなんかがあるんだよ。。はいアウト。それで、それから私は他の日にできないかと、必死で訴えた。その日じゃなくても、、その、大寒波の日じゃなくても、。と。と、そこでハッと気づいた。大寒波もやばいけど、この今の時期に、会食!?って。笑 あれっ??って。あまりにも当たり前で盲点だった。若い小学校教師の(奥さんもだ)二人、子どもひとり。それと70代の親が、夜ご飯をホテルで!?ヤバイよね。だいたい他の他県の兄弟はみんな帰ってきてもいない。それは当然。それが、下の弟は地元にいるのに、会えない。かわいそう。というの訳のわからない感情がじゃまをしていた。みんな会いたいのに会ってないんだよ。帰ってきてすらいないんだよ。僕たちはずっと訳ありで、距離取ってて、辛かったんだよ…。って言っても、可哀想ではあるけどそんなの関係ない。普段会わない家族と高齢者の家族が会食する。これは、ダメなんだよ。やっと気づいた。気づいてよかった。。これから、日程を変えるのではなく、昼間に、お茶にして欲しいという路線変更で、変えてもらうように頑張る。私頑張る。