お母さんの状況と私の性格と

最近お母さん、元気なときは元気なんだけど、とてもがっかりして元気がないときがよくある。当たり前だ。認知症のお父さんの相手をしているのはお母さんだけなのだから。いい時、そうでない時がある。それは当然。私も話を聞くが、それだけなんだ。直接対応するか聞くだけかは天と地ほどの差がある。お疲れさまと言うしかないし、他のところで手伝うしか出来ない。

しかし私は本当にダメだなと思うのは、お母さんにいろいろとダメ出しをしてしまうことだ。もちろん、お父さんの対応ではあまりそれはやらない。それでも、たまに、それはこう返せばよかったのに。とか言ってしまうときもある。それもよくない。でもだいたいほかの、生活一般のことでダメ出しをよくする。お母さんに余裕があれば別にいいけど、疲れてるときもあるだろう。そういう時は、ちょっとダメだなと思っても我慢してながしてあげなくては、と思う。自他共に厳しい性格。と、私はなんの心理テストをしてもそう出るけど。そういう性質なんだけど。お母さんももう70過ぎ。認知症の父の相手をしていなくとも、多目にみてあげないとな。ってたまに思うんだけど、つい、言ってしまう。こうした方がいいでしょ、とか、そういう風に。

ダメだな。と思う、本当に。私はうまくいかないとすぐ逃げ出す性質も持っている。(笑) お母さんを傷つけるようなことばかり言って足を引っ張るくらいなら、どこかグループホームに行けばいいかな。とかすぐ考えてしまう。結局は自分が辛いからだ。お母さんの役にたてないと。いろいろ上手く回って、私役に立ってる!って素直に思えるときは、ここにいていいんだ。いた方がいいんだ。って気分がよくなるんだけど。ダメだ。って思うと逃げたくなる。情けない性格だ。じゃあ努力しよう。って思わないと、少しは。自分自身のいろいろについては努力したり、我慢したりとか割りと出きるんだけど、他人との関わりで努力するのが苦手だ。難しい。それは誰しもがそうなんだろう。特に、私は平時はよかれと思って母に意見する。でも、歳を重ねてる母、しかも認知症の父の相手をしている人にそうそう色々意見や注意はすることじゃない。理屈ではそう思っているけど。つい、口が出る。言ってすぐ後悔して謝れるときもある。でも、私もちょっとイラッとしたりして、キツイ言い方のまま終わってしまうときもしばしば。正論なんだし。とか思っても、すごく嫌な性格の人だな。って思ってしまうときもあるんだ。まあ私もまだ精神科に通院している身。我慢も難しいところもある。でもね…。だんだん良くなっているし。もう少し頑張りたいところ。今年の頭、お母さんがとても疲れて脳性疲労になって大変な思いをした。その経験や記憶を糧にして、少しはマシな対応が取れるように出来るだけ努力したいと思う。

圧倒的な才能

せいや霜降りでM1優勝するちょっとまえに、すべらない話に出ていたときにした話が印象的でずっと忘れられずにいる。若いころ(今も若いけど)、風俗か何かへ行き、そこの女王様みたいな人に、『圧倒的。圧倒的。』とひたすら言われた、っていう話をしてMVSをとったことがあった。せいやってそのとき知らなかったけど、この人おかしい。(変人)って強烈に思った。それから圧倒的というワードを見るとせいやを思い出してしまう…

ちょっとアホらしい前置きをしてしまったが、それはさておき、今回私の身の回りでまさに圧倒的というものを見た。下の妹の長女のMちゃんだ。

まさに圧倒的な才能。と感じた。彼女は今6歳で幼稚園の年長さんなのだが、3歳くらいから、この子は大物になる。と思っていた。頭も良いのだが、私が注目してしまうのはアートな才能だ。2歳か3歳のころ、うちの洗面所にあった洗濯バサミとハンガーで何やら現代アートのようなものを無心に作っていた時も、只者じゃない感が満載だった。また、彼女の自宅でブロック遊びで作り出される家や動物、その他の実際存在するかもさだかでない名の付かない物たちも、その完成レベルは高かった。ある時はそのブロックで、タイトルが『うみ』という、しかし、どういう風に海なのか、わからない。しかし、何故かその形がとても魅力的な、不思議な作品を作っていた。本当にそれらは彼女の才能の凄さを充分に証明していた。とにかくMちゃんはすごいのだ。その人間性も一目置かれるものであるし、私はその豊かな感性と創造力のとりこだ。ファンなのだ。甥っ子姪っ子全員とても可愛く、大好きだが彼女のことはちょっと尊敬しているので、笑 彼女の絵は(自分で描いたやつ)、自室の壁に貼ってある。新作が出るたびに交換している。まるでポスター。ファンを地でいっている。笑

ポテンシャルという面では、昔から圧倒的にかなわない。と悟っていたが、表面的にはまだ幼児なので、まだ、とりあえずの小手先では私の方が、上手にできているところがあるかな。って最近まで思っていた。それでも小学校低学年で抜かされるだろう。って思っていたけど。しかし、もっと早かった。今日見た絵。もう…。すごかった。作家さんの絵かな。って思わせるようなの雰囲気のある、ファンタジックな、素敵な絵だった。それはもちろん、細かなタッチなどは少し子どもな感じもあるには違いないが、雰囲気で圧倒された。本人は動画で、もじもじしながら、これは、にじなの。これは、ぜんぶ家なの…。とか言っている。その光景は可能性という名の光で輝いていた。とてもかなわない。と思った。本当に心からそう思った。6歳の幼稚園児に完敗したと感じた。正直悔しかった。でも嬉しさもあった。それにだって、わかっていた。こうなるということは。思っていたよりちょっと早かっただけだ。

今までの私の人生は、範囲も狭ければ、元気で社会参加できていた期間も短いけどその中でも、とても才能豊かで、自分よりもずっと上で、っていう人、何人もいた。でも他人のことはあまり悔しがったり妬んだりとか、なかった。自分は自分、と思って満足していた。だが、、姪っ子。しかも幼児。こんなに他人の才能に衝撃を受けたことはなかった。身内だからかな?うんと年下だから?わからないけど、嬉しさと期待。それに悔しさで胸がいっぱいだ。でも、やっぱり嬉しさと期待の方が断然大きい。これから、本当に楽しみだ。でも妹や本人にはそこまで言わないようにしなければ。あんまり私が盛り上がりすぎてはおかしい。伯母として、嬉しく楽しく見守っていけばいいんだ。いや、見させて頂く、だろうか。笑

今までもそうだったけど。マジでファンになった…。笑

悪くなったスイカを食べた両親

このところ、認知症の父に刺激を…!!と、母はいつもそれを気にしいる。それは私も気にしてていろいろやってるけど。とりあえず、毎日のお母さんの買い物にはだいたいお父さんを連れて行くようになった。その他には、近場に住んでいる母の母の家にもお父さんと出かける。98のおばあちゃんはボケていないので、お父さんのよい話し相手になってもらえてとてもありがたい。人見知りの父には、同居していない義理の母という立場のおばあちゃんは、緊張し過ぎず、かと言ってだらけたりはできないので、少しの緊張感を感じながら話すのにちょうどいい距離感なのだ。なので毎日、買い物か、しない日はおばあちゃん宅に夫婦揃って出かけるのが最近の恒例だ。

お父さんは認知症になる前から、元から、魚屋さんや八百屋さんに行って、好きな魚や柑橘類を買ったりするのが好きだった。自転車に乗って。しかし今は自転車にも乗れなくなったので、もっぱら母の車に同乗し、八百屋や魚屋に行く。2日に一度は行っている。いいことだ。最近は前のような魚の好みは忘れてきてるようだけど、魚が好きというのは変わっていない。果物は、八朔。これが大好き。秋は柿になるんだけど。で、もう今は八朔の時期じゃないので晩柑とか甘夏とかなんだろうと思うけど。父は、しょっちゅう晩柑を食べて、これは、八朔だった。とかいう。別にそう思う分には構わないけど、ちがうよ。笑 って感じだ。まあちがうよっていわないけどね。そう思う分には何も問題ないし。なのでツッコミは不要だ。まあ父は趣味もなくてギャンブルとかももちろんしないし。お魚と果物買うのが好きなんだもんね。いろいろ魚と果物を買ってくるのは体にもいいし、楽しいならホントにいいことだとおもいますよ、それは。

ところで今日も八百屋に行った2人。帰ってきてから冷蔵庫を開けると、16分の1くらいに切ったスイカが。はいっている。スイカかったんだ!と私がちょっとびっくりして言ったら、すごく安かったから。98円で買った。と。八百屋さんは味は保証できませんから、もう一切れオマケします。って言われたらしく、二切れあった。ちょっとピカピカというわけではない感じのスイカだ。

美味しかったらラッキーかな。と思い、しばらくスイカのことは忘れていた。夕ご飯後しばらくして、スイカ食べる?ってお母さんが言った。あっ。食べる食べる!美味しかった?って聞いたら。『う〜〜ん。笑』って。ハズレたか。と思ったが一応のこりの一切れをお皿に出してみた。ためしに上の方をスプーンですくってみた。うん!スイカの味するじゃん!美味しい。まあまあ。という感じ。しかし中の方はちょっと美味しくなくなってた。まあ安いから仕方ないか。と言っていたら。おかあさんが、こっちは全然美味しい。さっきのはもっと傷んでてたまーに美味しいかな。くらいの感じだった。といって、がつがつ食べている。笑。ちょっと…私にとっといてくれたやつも、上部だけはなんとか美味しい。くらいのレベルなのに、これが全然ちがう、美味しい。っていうんなら、さっきどんなん2人で食べたんよ??笑笑 高齢者夫婦2人で、腐りかけのスイカ食べたのかい。。なんかの苦行みたいやな…。想像するだにおかしい。食べ終わったあと、お父さんが穏やかに、まずかったね。😊って言ったらしい。死ぬほどウケた。認知症のお父さんが、穏やかにまずかったね…。ツボった。何やってんの、両親2人。40過ぎの娘のために少しだけでもいい方のスイカを残して。まずいスイカを食べて。なん切ない光景。😂 ウケすぎる。でも悲壮感はなかったよ。とお母さんが言ってた。。なんか、そこで放たれた認知症の父のセリフが、なんともひたすら可愛く思えた。。

お隣さん

最近調子が良くなってきている。約8年飲み続けてきた薬が半分に減った。ここのところの2〜3年で、眠剤を抜かした4種類のうち3種類が、一つずつ順番に量が減ってきている。今回減ったのは4種類のうちでも一番重要なメインとなっているやつだと思う。それがついに、半分に。なんとなく、、ゴールが見えてきたのかもしれない気がする。嬉しいことだ。

ここのところよく動けている。というか、動けるようになってきた。たまには午前中に起きて、1日過ごす。家事もすれば、絵やその他の趣味も楽しんでいる。外出の回数も増えた。去年の今頃は必ず午後に起きて昼間はぼんやりして、夜中になったら絵を描く、という日々だったように思う。絵は頑張っていたが、それしかしていなかった。しかし現在は確実にそれより前進している。快復している。

とにかく嬉しいに尽きる。

まだ就労にはもう少しなのだが、毎日楽しく過ごしている。この一週間前には、お隣から侵食されているツタの葉っぱを選定バサミで切った。お隣は植物好きなのは構わないが、うちとの境目のフェンスに自分の側からツタを繁殖させて思い切りフェンスに這わせている。少しくらいなら構わないが、最近は繁り過ぎてものすごいことになっていた。こちらに垂れ下がりまくりで。結構な体積になっていた。それでも何もしないので、こっちから切ってやったのだ。庭仕事にはいい気候だったので、お隣の旦那さんも庭に出ていたとき、私がお構いなしで切り始めると、伝え聞いた奥さんが出てきて、すいませ〜〜ん。そっちいってたでしょ?とかニコニコしながら言うから、はい、結構来てました。って言ってやった。爽快でスッキリした。お隣は悪い人ではないが、うちのことを少し見下している感があるのだ。植物のことなどを生協の時に母に上から目線で教えたり、その他にもいろいろなネタが沢山ある人。なので悪いかなーとかは全く思わず、やった。だって、この前の冬には、うちの敷地の山茶花の木の花びらが、自分ちのカーポートの屋根に落ちるのがイヤだったらしくて、花びら落ちてましたよ〜〜。うちの方に。切ったらどう?業者に頼んで。って何度もしつこく言われ、お人好しのうちの母は知り合いの植木屋さんに頼んで、大好きだった山茶花をかなり小さく切ったのだ。切らされたのだ。私も好きだった。濃いピンクのは花びら。なんで他人から切れと言われないといけないの。だよ。で、そのことがあってからついに、うちのお人好しの母も、Sさん(お隣)、キライ。と公言するようになった。笑 なので先週私が隣のツタの葉っぱをザックザック切ったのはみんなにとっても爽快であったのだ。妹に言ったら、やったね!!笑 ときた。母も嬉しそうにしていた。山茶花の恨みは忘れん。笑 て感じだよね。恨んだりしちゃホントはイカンが。で、次会った時、母と私でお隣にどんな顔しようか。と、話していたら、次の日に親2人が出かけたのを見計らったかのようなタイミングでお隣の奥さんはやってきた。私一人のところを狙ってきたのだ。チャイムが鳴って、Sさんだ。と確認すると、当然昨日のことをお詫びに来たんだ。と思ったので、今、親いないんですよ〜と言って、出直してきてもらおうとしたら、お嬢さんで構わないです〜。と。構わないっつーのもなんか引っ掛かったけど。で、シュークリーム持ってきました。昨日はありがとうございました〜。食べてね❤️だって。ありがとうか。そう来たか。と思った。伸ばしっぱなしにしてすいませんでした、じゃねーんかい。と突っ込むのは心の中に留めておいた。帰ってきた母に事の顛末を話すと、ママに頭下げたくないんだろうね。って。そーだよねーー。私だから、娘だから、ありがとうなどという上からでいいんだっていうね。はあ、どこまでもダサいお隣のおばちゃん。母より年上だからおばあちゃんですね、年的には。

最近マウントをとるっていう言い方がよく使われるけど、となりのおばちゃんはまさにコレ。始終うちに対してはこれの連続ですね、でしたね。少なくとも今までずっと。なんで人より常に上にいたいって思うんだろ〜。そういう人の心はわからん。そんなことしたっていい印象はないのにね。

どこまで言えばいいのか…

認知症のお父さんの症状が進んできたのは仕方ない。悲しいけど。今悩んでいる問題は、コロナでずっと会えていないきょうだいたちにどれくらい伝えたらいいのか。ってことだ。最近よく考えてしまうこと。

お父さんの認知症、進んだよって、わざわざ言う必要はあるのか。うーん。やはりそれはあるような気も…する。だって会った時にショックじゃない?久しぶりに会ったときに、ものすごい進んでたら。そして今、離れていて、父親のことを知りたいって気持ちははないのだろうか。とか考える。そして見守っているこちらのの気持ちもある。やっぱ進んだのを確認するのはつらい事だから、このつらさをみんなで分かち合ってほしい。ってことを思う。それは確実にある。。ほんとにかなり。でも離れてるみんな、それぞれ日々の生活もあるし、悲しいことは知りたくないってとこもあるかもな。でも…。本当に言わないほうがいいのかなぁ~。。しかし実際、きょうだいの誰も積極的に、最近どう?お父さん。とか言ってくる人いないんだよね。それって普通なんかな。。そりゃあ辛いことをわざわざ知りたくないというのもあるだろう。では他の家ではどうなんだろう。たとえばもしこれがガンとかだったら、命に関わる病気だから、いろいろ調べたり聞いてくるものかもしれないけど、認知症ってとりあえず命には関わらないもんね。だから…みんな特に知らずにいて、現場任せっていうか。。現場っていうのはひどいか。

とにかくここ数日でもガンガン進んでるんだよね。こんなに早く進むとは、ここまでとは思ってなかった。でもお父さん元からアスペルガーだと思うから、そういうのでも進みやすい要因はあるだろう。私は父にはもうこわくて関われない。話しかけられない。何を言われるか、というか、。なんかこわい。振り返ると一昨年の年末で父と関わるのをやめよう!って決断したとき、たぶんもう認知症だったから、そういう、通じないというのをなんとなく感じて、こわくなって関われなくなったんだろうな私。って思う。最近になって思う。関わるのをやめる前は酷かった、ほんとに。もう普通じゃない感じで。お父さんもなんとなくイライラしてたんだろうけど。でも私正面から向かっていって死にそうになったもん。で、これはダメだ。と思った。死ぬ。と思った。だからもう生活から外してしまった。そうしないと生きられなかった。なのでそうにまでなったから、今になってもかわいそうだな、とは思っても、ごめんね的な感情はあまりない。。冷たいかもしんないけど。

しかしお母さんはやはり強い。ダテにあのお父さんと結婚し46年も離婚せずにやってきただけある。強い。まあ、じゃないと子供6人も育てられるはずもないから当たり前なんだけど。とりあえずお母さんがタフな人で良かった。いま心からそう思っている。いろいろお母さんも私に対していい加減な所があって、今まで、特に最近ゴタゴタしてイヤな気持ちになったりもしたけど…。でもここに来て、強くて優しいお母さんの底力が全開。という感じ。頼もしい。お父さんが病気になっても、私がとりあえずの安定した調子を保ててるのは彼女のおかげだ。なので私は彼女のサポートをするのみだ。もうそれに集中。それしかない。結局のところ。結局その結論に行き着く。きょうだいには、言えそうな雰囲気のとき、話していてなんとなくそんな話になったときにさりげなく、現在の父の状況をソフトに伝えていけたらいいのかな。うん。あんまり聞かれてもないのに、こちらからこうだよこうだよって、言わない方がいいだろう。こっちとしては、聞いてきて欲しいんだけど。やっぱり押し付けはよくないよね。。本当に幸い、お母さんと私、二人いるんだから、励まし合えるんだから、有難いことなんだ。って、考えよう。そのうち、全国に散らばってるきょうだいの、ワクチンが終わった家庭から帰ってくるだろうし…。そう遠い未来ではないだろう。それまで、なんとか頑張ろう。もちろんそこで終わりというわけはないけど。

お母さんとお父さんと私の生活

お母さんの小学校からの友達が亡くなった。ご家族から手紙が来たそうだ。

最近5年ほどガンの闘病をしていたらしい。2、3ヶ月前に電話で話したのが最後だったそうだ。あまり良くない、と言っていたらしい。なので母はそこまでびっくりはしていなかったが、とても悲しそうだった。この一年前には会社時代の一番の友達を亡くしている。やっぱりガンで。。そしてこの前、つい数日前には、人ではないけど、近所のK藤さんちの犬のリリーちゃんが老衰で亡くなったばかり。なんか悲しいことが続いてあるなあ。たまたまだけど。お母さんすごく悲しいだろうなあ…。とアホみたいに想像することしか出来ない。しんみりと『ママも同世代の人が亡くなるような年になってきたってことだね。』と言っていた。寂しいけどその通りだと思う。70代に突入して2年経った。早い人はそういうことになるような年代。しかしもちろんお母さんにはまだまだ元気でいてもらうつもりだけど。でもやっぱり仲良しの人が亡くなるのは寂しいし悲しいし、辛いだろうな。今日は朝イチでその手紙が届いていて、すごく疲れている感じだったので、たくさん家事をした。それくらいしか私には出来ることがない。そして毎日お父さんの認知症は確実に進んでいる。相手をするのも全部お母さんだ。私はいろいろな記事とかを読んで、こういう風な言い方が良いらしいよ。とか入れ知恵する程度。本当にお母さんは頑張ってるよなあと思う。最近少し見直している。正直。あんな性格の悪いお父さんが認知症になって、なかなか扱いづらい状態になっているけど、お母さんは我慢強くお父さんの相手をしている。出来るだけ優しく、怒らず。えらいなあ。と思っている。夫婦とはそうあるものかもしれないけど。私は認知症がはっきり診断される前に父から逃げ出してしまった。あまりひどいことを言うので。仕方なかった、とは思っているけど。でもやはりこのままここにいて良いのかなあ、と最近悩むってほどじゃないけど、けっこう気にしている。ずっとグループホームのことは頭の片隅にある。そっちに行った方がいいのか…。それともお母さんのサポートしている方がいいのか。。なかなか、よしグループホームだ!!と踏ん切りがつかない。自信もないし。お母さんはお父さんと二人きりで大丈夫なのか、という心配もある。私はどこにいるのがみんなのために一番いいのだろう。ほんとうに考える。毎日考えても答えは出ない。で、とりあえず。とりあえず今はお母さんの手伝いをしていよう。と、こうなる。ほんとうに迷う所だ。自分の将来。親の現在の心配。天秤にかけても、どちらにも振り切ることがない。同じくらいの重さに感じる。とにかく最近お父さんの症状が進んできたから、難しくなってきた。いた方がいいのか、じゃまなのか。両親はいくらそう思っても私のことを邪魔だなんて言うはずはない。私の心一つなんだろう。でも、むずかしい…。とにかく今はできる家事をこなすと、少し充実感が生まれるのでもう少しこれをこなしながら考え続けるしかないな。私のこれからの生活をどうするのかを。

将来を考える

もう40代も半ばに差しかかってきたが、将来のことを最近考える。それはいろいろパターンがある。それははっきり言い切ってしまうと、病気で終わる場合と治って余生を過ごす場合の2パターンだ。

治ったらパターンを考え始めたのは良い兆候だと思う。もしかして。という気持ちが生まれ始めているからだ。いっぽうでもちろん病気のまま生涯を終わる。というのももちろんずーっと考えている。しかし、これは考えた所であまり計画は立てられない。その場その場で状況に合わせて最適と思われる選択をしていくしかないのだ。誰かに頼りながら。これはもちろん嬉しくはないが、あまり不安に思わないように心がけている。なんとかなるさ、と。しかし、もし良くなって就労可能になったなら…。こうなった場合自分で自分の生活を考えていかないといけない。嬉しいやら不安やらだ。これまで20年近く実家で生活をしてきて、今から社会復帰するというのは…。まあハンデもありすぎるし、完璧な自立は無理だろうと思っているので、親が生きてくれているうちは親に頼りつつできる仕事をして行くのだろう、となんとなく考える。

そこでやっぱり考えるのはなんの仕事をするのか、ということだ。いろいろやりたい仕事はあるが、やれるか、は全くわからない。どのくらいまで回復できるか、にもよる。前と同じように頑張りすぎて体を壊しては元も子もないので、絶対大丈夫な範囲でやらなくては。でも、できればやりたいと思う仕事をしたいよなー。とか思う。ここでまた、しかしだ。普通に生きてる人、健常者の人の中でも、やりたい仕事ができている人がどのくらいいるだろうか。とか考える。今は少し病気の人と普通の人の間くらいなところに立っている気がしている。こんな仕事したいな、あんな仕事したいな、と思うが、何ができるのか。どのくらいまで働けるのか。と最近よく考える。かなり前は社会復帰なんて夢のまた夢だったので、その頃の仕事したいな、は妄想の世界だった。一応本気で夢見ていたが、夢!という感じで。子供が好きだから、保育士さん。とか、人材が少ないから、介護士さん。とか。。治ったらねー。と幸せに妄想していた。でも今は、その二つどちらも自分には出来ないと分かっている。どちらもハードな仕事。私には務まらない。作業所は別としても、もう少し楽(楽な仕事なんてあるのかわからないが)なのじゃないと出来ないだろう。すると私の得意分野の仕事、とかかな。専門性を発揮したいなら大学の頃の専門知識を使う職か…。とか。でも、うーーん。難しいなあ。。でもとりあえず、もし外で働けるようになったら、まずはスーパーとかでバイト。と思ってはいる。スーパーを楽とか思ってないが、昔バイトをしていたこともあるので、体力が戻れば、なんとか出来るだろう。と思っているのだ。ていうかもしスーパーでも、そこで働けるんならもうそれで十分じゃないか。と思う。今ゼロなんだから。前より良くなったとはいえ、まだ作業所も行ってないよ私。思い切り狸の皮算用やってるわ。笑 とりあえず働ける前にできるようになることは、一人で外出できるようになることじゃん。ホント、現実、足元を見なさいだね。習い事に行けるようになる、っていうのもまだクリアできてないじゃん。気が早すぎだ、私。そうだね、まずはお母さんと一緒に市の文化講座の絵の教室に行けるようになることだ、一番最初の目標。それだ。絵を必ず夜中じゃないと描けなかったのが、最近はよく昼間に描けるようになってきたんだ。だからこのままの調子で、絵の教室にたどり着けるように。がんばろう。夢を持つのは大いに結構だけど、段階を踏んでひとつずつクリアしていかないとね。焦らず。確実に回復はしてるんだから、マイペースに行こう。うん。