あわや熱中症

最近調子が上がってきたので昼間に出かけてみようと思い、真っ昼間に母と車で出かけた。

近所のDIYショップのような大型ホームセンターだ。そこは日用雑貨や花の苗が豊富にある。私は日用品の値段をどこどこが安いと近場はおおよそ把握しているので、そこが一番安いものをリストアップし、ついでに最近ガーデニングなるものに興味が出てきたので、花の苗も買おう。と思って出かけた。午後2時。

気温は35度。最近は35度ということはよくある。のでそこまでは用心せず、普通にTシャツに、今日はワークパンツでも履くか。と思って下はそれ。そしていつも通りスニーカーで出かけた。

しかし。まず車が死ぬほど暑い。乗るまでに冷房で冷やしているときまでに、日傘をさしてはいても、かなりやられた。そしていざ車内に乗っても、まだまだ暑い。外くらいの温度はある。冷房をかけながら冷やしつつ進んでも、なかなか後部座席まで冷えない。しんどい。そして、着いてからがまたやばかった。屋外の立体駐車場。もちろんエアコンは入っているはずもない。そして広い。店内までが遠い。暑い。そして、店内が、ぬるい。後でわかったことだが、2階部分が温度が高かった。一階は普通のスーパーマーケットくらいの快適な室温だった。それはこのホームセンターが、野外の吹き抜けがある構造であるということに大いに影響している。吹き抜け部分が2階までドームのようになっており、植物が置いてあるためエアコンは、なし。これでは2階部分が暑くなるのは当然。その2階の駐車場に車を置き、店内まで長々歩いて2階フロアに直接入った。

暑い。暑くてたまらない。すぐ、このワークパンツは生地が厚い、ということに気がついた。Tシャツもけっこう首詰まったやつ。スニーカーの下には足先だけとはいえ靴下を履いている。しかもだ。手がここのところアルコール荒れをしているため、外出する際は手袋をしていた。のである。三方攻めだ。私の体内の温度はどんどん上がる。やばい。と思った。その時は2階は暑い、と気づいていない。マスクも暑い。すぐさま靴下を脱いだ。人が見えなくなると、マスクを外す。そしてトイレへ行き、下着とシャツの間に着ていたキャミソールも脱いだ。そして、これ、買わせるため?と疑惑も湧いたが、店内にクロックスが600円で売っていたのですぐそれを買い、素足に履き替えた。そして、これがこの日一番の自分のファインプレーだと思ったが、出掛けに冷蔵庫からボトルに入った麦茶を出して持参していたので、店内の人気のないところでごくごく飲んだ。……以上のことを行なって、どうにか、熱中症になるかも??という危機が去ったのである。あ〜〜も〜〜本当に怖かった〜〜。

今までは家の中での35度。真っ昼間に外出するのは久しぶり。マスクを外で装着するのも慣れていない。夏用の薄手のやつとはいえ、自作のマスクだった。サージカルにしとけばよかった。手袋はこういう気候の昼間はあきらめないと命が危ない。と学んだ。いろいろ学ばせてもらいました〜。クロックス売ってなかったら。麦茶持ってなかったら。…まあ、死にはしなかったかもしれないけど…。いやあ、日本の真夏は怖いものになりました。これから、本当に気をつけよう。もう2時とかには外出ないようにしよ。ほんと。

チョウチョとガ

下の妹が住んでいるのは東海地方の海沿いの町。割と自然の多いところだ。彼女は自分も幼いころから動物や虫が好きで、彼女の子どもたちにもそれは引き継がれている。子どもたちはダンゴムシを飼ったり、トカゲを追いかけたりしている。そんな妹の家では去年、アゲハチョウの卵を庭先で見つけ、それを室内に持ち込んで観察し、成長してサナギになり蝶になり、外に出すまでをたいそう楽しんで過ごしていた。去年はもうコロナだったので、その様子をうちの母、おばあちゃんと手紙でやりとりなどして、それはコロナ禍の中でも本当に楽しい時間だったように見えた。それで妹宅では今年もやろうということになり、またもや蝶の卵を探し、アゲハチョウの幼虫の餌となる柑橘類の葉っぱなどもしっかり準備し、今現在は準備万端で二度目の蝶の孵化を楽しんでいるところだろう。妹の夫が柑橘類の葉っぱを調達できる部類の仕事をしているおかげもあり、楽しい虫ライフだ。

一方上の妹は関東地方に住んでいる。夫は大手町に勤める証券マンだ。

社宅の団地に住んでいる。(近々出るつもりらしいが)虫に特段興味はなく、ごく普通の、アニメのドラゴンボールを一家でこよなく愛する家庭だ。ベランダで家庭菜園くらいはやるようだ。あまり成功したとは聞かないが。

そんな上の妹の長男のHくんが社宅の近くで何やら蝶の幼虫を見つけたらしい。妹も、おっ、これは蝶の幼虫に違いない。と思い、虫は得意ではないが、子供のために頑張って捕獲し、家に持ち帰ったそうだ。ワクワクする子供。妹もワクワクしたことだろう。さあこれはなんの、どんなチョウチョかな。とルンルンでネットで調べてみると…。それは、蛾の幼虫だった。いやいや、蛾でもいいじゃないか。蝶とどう違うというのか。綺麗な蛾だっている。とそれを聞いた私は思った。そう言った。しかし。落胆した妹が送ってきたその蛾の成虫の写真は、うわ、、ガには悪いけど、これか。よりによってこれか。っていう見た目のやつだった。それで私はさっきの台詞は何処へやら、逃したらいいじゃん。と迷いなく言った。しかし妹曰く、『Hがサナギになるの見たいって。』…らしい。じゃあ、もう育てちゃいなよ!!と私は無責任に意見を一転させた。育ててるうちに愛着も湧くよ!笑 と。自分だったら絶対ないだろう的なことを言う。妹は、だってコレだよ…?ゾッとする…。とか言っている。いくらなんでもゾッとするはないだろう。蛾に失礼というもの。笑 なので、Hくんがゾッとしないなら頑張って飼いな。って言っといた。あはは。泣き顔マークと共に、うん…。という返事があった。これは確かに子どもには良いことだけど、虫嫌いの妹には酷だろうな〜笑 あれは何という名前かは知らないけど、ゴジラモスラとかの、モスラ?みたいなやつだったよ。あれが夜に外から家の蛍光灯とかに飛び込んできたら、めっちゃ逃げるやつだね。まあ、妹よ、頑張れ。下の妹が優雅にアゲハチョウを孵化させていることは、言わないでおくよ。

久しぶりのぶらり外出

たぶん2年ぶりくらいじゃないかな。特に用もないのに外出をしたのは。

コロナになる直前は家のゴタゴタで死んでいたし。コロナになってからは究極の夜型生活になっていたし。最近ようやっと、ずっと行けなかった胃カメラも行けて、手荒れがひどかったので皮膚科にも行った。今までも昼間に起きていても外出は全く出来なかったのだが、少〜うしずつ、外に出られるようになってきた。嬉しい。

コロナになってから(たまたまコロナになっただけだが)、私は全くのひき籠った生活をしていても、それはそれで家の中で充実した日を送っていたので、収穫はたくさんあったのだ。絵を描くようになった。ピアノも弾くようになった。裁縫もするようになった。中途半端にいろいろ器用な自分のおかげで、外出できなくともやれることがたくさんあり、それらに打ち込むことができてとてもいい時間の過ごし方が出来ていたと思う。このところは、そういう活動、それに家事などをしすぎて疲れたりして、もう少しほどほどに活動をコントロールしていかないと。とか考えるようになってきてる。例えば土日はいつもよりのんびりする。とか。外で働いているわけではなくても、家のいろいろな雑事を日々していると、やはり労働になるので疲れは当然出る。そのあたりを自分なりに疲れすぎないように調節していかないと、というのが最近の課題だ。

それでも色々出来るようになったのは嬉しい。毎日今日は何をしよう。と考えるところから私の一日は始まる。そうして過ごしているうち今日の朝、というか昼、に起きてご飯を食べ身支度をし、今日はどうしよう、と思ったとき、ちょっと出かけてみようかな。と、ものすごく久しぶりに思ったのだ。特に買い物の用事があるわけではなかった。でも、たまには外に出てもいいんじゃないか。と思えた。前、コロナになる前ってどういうところに出かけてたっけ。と考えると、図書館。と思った。そうだ、図書館に行こう!と思った。図書館はコロナになってから1回か2回くらいは行った。でもなんか心持ちが違った。前の自分とは違う感じがしたのかもしれない。とにかく、図書館に行くことにしたのである。なんか本でも物色しよう。という、お出かけ感覚で。もちろん感染症対策はしっかりして。ここのところ、どうしても必要なもの、しかし母に頼むではなく自分で買いたい、という買い物があるときにしか外出してなかったので、本を物色しに行くというのは、なんだかとても楽しかった。そうして出かけているうちに、なんとなく久しぶりにマックシェイクが飲みたくなってきたので、帰りにマックに寄った。人が多ければ持ち帰りにして、少なければ入って飲もう。と行って向かったら、平日の昼間だからか人は少なかった。マックに入ること自体、いや、外食自体コロナになって初だ。すごく嬉しくて楽しかった。。あ〜なんか平和。。って思った。優雅な気持ちになれた。しかしちょっぴり残念なことがあった。バニラを頼んだのに、季節限定の桜桃味のシェイクを出されたのだ。一口飲んで、バニラじゃない。と思って、これはちゃんと言って、バニラにしてもらおう。と思った。母にカウンターに行ってもらったら、店員さんはあっ、すみません!と言って、即座にその桜桃シェイクをゴミに捨てた、らしい。あ〜〜なんてもったいない。こちらも飲まれますか?ってくれるかと思ったのに。捨てるなら桜桃でガマンしたよ…。今日のこのことは日本の食品ロス問題が、まだまだ先が長いんだなあと感じたことです。

そして、マックを出てから道沿いにあるブックオフまで寄りました。楽しかったなあ、ホント。でもそういえばそうだったんだ。昔は(たかが2年前まではだ)、こんな感じで気ままなお出かけをしていた。夜型になってしまったのとコロナとで、久しく外出を楽しむなんでことがなくなってた。私は元から引きこもり気味の状態の人なのでそこまでの打撃はなかったが、普通の人はこのコロナはかなりなストレス状態だったろうな。いや今も継続中ですけどね。それにしても、一般人は自粛、お店も自粛状態なのに、オリンピックやるって。本当に信じられないことするよねえ。おかしいよね。明らかに今の日本は。感染者欧米より全然少ないっつっても、アジアの中じゃめちゃくちゃ多いじゃん。なんか情けないよね…。

ああ最後に愚痴ってしまった…。でも今日は楽しかったのは間違いないです。

鬼滅読了

昨夕鬼滅の22、23を続けて読んで私の鬼滅マンガは終了した。改めて作者の創造力、漫画としての構成力、絵の上手さをすごいと感じた。16くらいから最後の大決戦みたいなのになって、ずっとドキドキしていたけど22、23あたりはまさにクライマックスで、すごいことになってた。しかしエンディングはとても良かった。読後感はすごくよかった。

この作者は女性のようだ。なんとなくハリーポッターの世界を作ったローリングに似てる気がすると思った。現実と非現実を織りまぜたような世界観。それでいて独自のオリジナルの世界観の凝り方。制度にしろ、小物一つにしても、とってもこだわりがある。魔法世界なら例えばホウキや杖。鬼滅では刀。と言った感じ。その人その人によって違い、使いこなすのに本人がものすごい鍛錬をしないといけないというのも似ている。そしてお話のデイティールがものすごく細かく作り込まれている。魔法学校だと先生のキャラクターや、いろいろな授業など。鬼滅は、鬼殺隊の階級制度、それと剣士以外の様々な仕事の役割をもった人たちなど。それらがすべてその世界に見事にはまっている。とても魅力的な世界観。あと、鬼滅の方で特筆する興味深いことと言えば、鬼はとてもかわいそうな過去を持っている元人間ということ。それだけでも充分かわいそうなんだけど、だいたいやられて地獄に行くことになる。またかわいそう。でも救いがあるのは、死んだらみな必ず亡くなった家族や恩人などにあの世で会えると言うこと。そこからは一人じゃないのだ。また鬼にかぎらず、死ぬことや死にかけたりすることによって、生前のすれ違いや仲違いなども解消される。ある者は輪廻転生して、未来で再び巡り会いたい人と巡り合う。そういう展開もある。なのでむしろ死んでからの方が幸せになる、というようなこともある世界観だ。ラストがそういうことだらけで、なんとなくこの辛い物語から全体的に救われて終われた。という感じもすごくあった。

個人的には最後の最後に炭治郎が鬼になるという展開、あとはこのマンガ唯一の恋愛要素である甘露寺さんと伊黒さんの想いが通じ合う場面が良かったなあ。

最後現代に飛ぶところははじめえぇ〜〜??と思ったが、ああみんな、幸せになったんだな。と思ったらいいじゃん。と思えた。生まれ変わっていたり、子孫繁栄してたり。なんかほっこりした。

昨年末から読み始めて半年かかったけど、すごく面白かったよ。イライラしたりしたときに宇随さんのところを読んでスカッとしたこともあったな。とにかく漫画にハマったのもすごく久しぶりだったし、ぬり絵を制作したりして楽しまさせてもらったなあ。鬼滅どうもありがとう。

お母さんの状況と私の性格と

最近お母さん、元気なときは元気なんだけど、とてもがっかりして元気がないときがよくある。当たり前だ。認知症のお父さんの相手をしているのはお母さんだけなのだから。いい時、そうでない時がある。それは当然。私も話を聞くが、それだけなんだ。直接対応するか聞くだけかは天と地ほどの差がある。お疲れさまと言うしかないし、他のところで手伝うしか出来ない。

しかし私は本当にダメだなと思うのは、お母さんにいろいろとダメ出しをしてしまうことだ。もちろん、お父さんの対応ではあまりそれはやらない。それでも、たまに、それはこう返せばよかったのに。とか言ってしまうときもある。それもよくない。でもだいたいほかの、生活一般のことでダメ出しをよくする。お母さんに余裕があれば別にいいけど、疲れてるときもあるだろう。そういう時は、ちょっとダメだなと思っても我慢してながしてあげなくては、と思う。自他共に厳しい性格。と、私はなんの心理テストをしてもそう出るけど。そういう性質なんだけど。お母さんももう70過ぎ。認知症の父の相手をしていなくとも、多目にみてあげないとな。ってたまに思うんだけど、つい、言ってしまう。こうした方がいいでしょ、とか、そういう風に。

ダメだな。と思う、本当に。私はうまくいかないとすぐ逃げ出す性質も持っている。(笑) お母さんを傷つけるようなことばかり言って足を引っ張るくらいなら、どこかグループホームに行けばいいかな。とかすぐ考えてしまう。結局は自分が辛いからだ。お母さんの役にたてないと。いろいろ上手く回って、私役に立ってる!って素直に思えるときは、ここにいていいんだ。いた方がいいんだ。って気分がよくなるんだけど。ダメだ。って思うと逃げたくなる。情けない性格だ。じゃあ努力しよう。って思わないと、少しは。自分自身のいろいろについては努力したり、我慢したりとか割りと出きるんだけど、他人との関わりで努力するのが苦手だ。難しい。それは誰しもがそうなんだろう。特に、私は平時はよかれと思って母に意見する。でも、歳を重ねてる母、しかも認知症の父の相手をしている人にそうそう色々意見や注意はすることじゃない。理屈ではそう思っているけど。つい、口が出る。言ってすぐ後悔して謝れるときもある。でも、私もちょっとイラッとしたりして、キツイ言い方のまま終わってしまうときもしばしば。正論なんだし。とか思っても、すごく嫌な性格の人だな。って思ってしまうときもあるんだ。まあ私もまだ精神科に通院している身。我慢も難しいところもある。でもね…。だんだん良くなっているし。もう少し頑張りたいところ。今年の頭、お母さんがとても疲れて脳性疲労になって大変な思いをした。その経験や記憶を糧にして、少しはマシな対応が取れるように出来るだけ努力したいと思う。

圧倒的な才能

せいや霜降りでM1優勝するちょっとまえに、すべらない話に出ていたときにした話が印象的でずっと忘れられずにいる。若いころ(今も若いけど)、風俗か何かへ行き、そこの女王様みたいな人に、『圧倒的。圧倒的。』とひたすら言われた、っていう話をしてMVSをとったことがあった。せいやってそのとき知らなかったけど、この人おかしい。(変人)って強烈に思った。それから圧倒的というワードを見るとせいやを思い出してしまう…

ちょっとアホらしい前置きをしてしまったが、それはさておき、今回私の身の回りでまさに圧倒的というものを見た。下の妹の長女のMちゃんだ。

まさに圧倒的な才能。と感じた。彼女は今6歳で幼稚園の年長さんなのだが、3歳くらいから、この子は大物になる。と思っていた。頭も良いのだが、私が注目してしまうのはアートな才能だ。2歳か3歳のころ、うちの洗面所にあった洗濯バサミとハンガーで何やら現代アートのようなものを無心に作っていた時も、只者じゃない感が満載だった。また、彼女の自宅でブロック遊びで作り出される家や動物、その他の実際存在するかもさだかでない名の付かない物たちも、その完成レベルは高かった。ある時はそのブロックで、タイトルが『うみ』という、しかし、どういう風に海なのか、わからない。しかし、何故かその形がとても魅力的な、不思議な作品を作っていた。本当にそれらは彼女の才能の凄さを充分に証明していた。とにかくMちゃんはすごいのだ。その人間性も一目置かれるものであるし、私はその豊かな感性と創造力のとりこだ。ファンなのだ。甥っ子姪っ子全員とても可愛く、大好きだが彼女のことはちょっと尊敬しているので、笑 彼女の絵は(自分で描いたやつ)、自室の壁に貼ってある。新作が出るたびに交換している。まるでポスター。ファンを地でいっている。笑

ポテンシャルという面では、昔から圧倒的にかなわない。と悟っていたが、表面的にはまだ幼児なので、まだ、とりあえずの小手先では私の方が、上手にできているところがあるかな。って最近まで思っていた。それでも小学校低学年で抜かされるだろう。って思っていたけど。しかし、もっと早かった。今日見た絵。もう…。すごかった。作家さんの絵かな。って思わせるようなの雰囲気のある、ファンタジックな、素敵な絵だった。それはもちろん、細かなタッチなどは少し子どもな感じもあるには違いないが、雰囲気で圧倒された。本人は動画で、もじもじしながら、これは、にじなの。これは、ぜんぶ家なの…。とか言っている。その光景は可能性という名の光で輝いていた。とてもかなわない。と思った。本当に心からそう思った。6歳の幼稚園児に完敗したと感じた。正直悔しかった。でも嬉しさもあった。それにだって、わかっていた。こうなるということは。思っていたよりちょっと早かっただけだ。

今までの私の人生は、範囲も狭ければ、元気で社会参加できていた期間も短いけどその中でも、とても才能豊かで、自分よりもずっと上で、っていう人、何人もいた。でも他人のことはあまり悔しがったり妬んだりとか、なかった。自分は自分、と思って満足していた。だが、、姪っ子。しかも幼児。こんなに他人の才能に衝撃を受けたことはなかった。身内だからかな?うんと年下だから?わからないけど、嬉しさと期待。それに悔しさで胸がいっぱいだ。でも、やっぱり嬉しさと期待の方が断然大きい。これから、本当に楽しみだ。でも妹や本人にはそこまで言わないようにしなければ。あんまり私が盛り上がりすぎてはおかしい。伯母として、嬉しく楽しく見守っていけばいいんだ。いや、見させて頂く、だろうか。笑

今までもそうだったけど。マジでファンになった…。笑

悪くなったスイカを食べた両親

このところ、認知症の父に刺激を…!!と、母はいつもそれを気にしいる。それは私も気にしてていろいろやってるけど。とりあえず、毎日のお母さんの買い物にはだいたいお父さんを連れて行くようになった。その他には、近場に住んでいる母の母の家にもお父さんと出かける。98のおばあちゃんはボケていないので、お父さんのよい話し相手になってもらえてとてもありがたい。人見知りの父には、同居していない義理の母という立場のおばあちゃんは、緊張し過ぎず、かと言ってだらけたりはできないので、少しの緊張感を感じながら話すのにちょうどいい距離感なのだ。なので毎日、買い物か、しない日はおばあちゃん宅に夫婦揃って出かけるのが最近の恒例だ。

お父さんは認知症になる前から、元から、魚屋さんや八百屋さんに行って、好きな魚や柑橘類を買ったりするのが好きだった。自転車に乗って。しかし今は自転車にも乗れなくなったので、もっぱら母の車に同乗し、八百屋や魚屋に行く。2日に一度は行っている。いいことだ。最近は前のような魚の好みは忘れてきてるようだけど、魚が好きというのは変わっていない。果物は、八朔。これが大好き。秋は柿になるんだけど。で、もう今は八朔の時期じゃないので晩柑とか甘夏とかなんだろうと思うけど。父は、しょっちゅう晩柑を食べて、これは、八朔だった。とかいう。別にそう思う分には構わないけど、ちがうよ。笑 って感じだ。まあちがうよっていわないけどね。そう思う分には何も問題ないし。なのでツッコミは不要だ。まあ父は趣味もなくてギャンブルとかももちろんしないし。お魚と果物買うのが好きなんだもんね。いろいろ魚と果物を買ってくるのは体にもいいし、楽しいならホントにいいことだとおもいますよ、それは。

ところで今日も八百屋に行った2人。帰ってきてから冷蔵庫を開けると、16分の1くらいに切ったスイカが。はいっている。スイカかったんだ!と私がちょっとびっくりして言ったら、すごく安かったから。98円で買った。と。八百屋さんは味は保証できませんから、もう一切れオマケします。って言われたらしく、二切れあった。ちょっとピカピカというわけではない感じのスイカだ。

美味しかったらラッキーかな。と思い、しばらくスイカのことは忘れていた。夕ご飯後しばらくして、スイカ食べる?ってお母さんが言った。あっ。食べる食べる!美味しかった?って聞いたら。『う〜〜ん。笑』って。ハズレたか。と思ったが一応のこりの一切れをお皿に出してみた。ためしに上の方をスプーンですくってみた。うん!スイカの味するじゃん!美味しい。まあまあ。という感じ。しかし中の方はちょっと美味しくなくなってた。まあ安いから仕方ないか。と言っていたら。おかあさんが、こっちは全然美味しい。さっきのはもっと傷んでてたまーに美味しいかな。くらいの感じだった。といって、がつがつ食べている。笑。ちょっと…私にとっといてくれたやつも、上部だけはなんとか美味しい。くらいのレベルなのに、これが全然ちがう、美味しい。っていうんなら、さっきどんなん2人で食べたんよ??笑笑 高齢者夫婦2人で、腐りかけのスイカ食べたのかい。。なんかの苦行みたいやな…。想像するだにおかしい。食べ終わったあと、お父さんが穏やかに、まずかったね。😊って言ったらしい。死ぬほどウケた。認知症のお父さんが、穏やかにまずかったね…。ツボった。何やってんの、両親2人。40過ぎの娘のために少しだけでもいい方のスイカを残して。まずいスイカを食べて。なん切ない光景。😂 ウケすぎる。でも悲壮感はなかったよ。とお母さんが言ってた。。なんか、そこで放たれた認知症の父のセリフが、なんともひたすら可愛く思えた。。