母の友人の死

今日の夕方、母の長い友人が亡くなった。と彼女の娘さんから連絡があった。

癌の闘病をしていた。5年間の闘病の末のことであった。私が子どもの頃は我が家は彼女の家の近くに住んでいたので、よく我が家にも遊びに来たりしていたので、よく知っている人だ。とても明るくてサバサバした人で、きれいな人だった。それでいて面白くて、面倒見もよくて、とても好きなおばちゃんだった。とても悲しい出来事。まだギリギリ60代だった。

5年ほど前に健診か何かで癌がわかり、手術し、大丈夫かなと思っていたあたりで転移したと知らせがあった。肺かどこか。それを聞いたときに医者の弟が、転移したなら、もう一年か一年半くらいだろう、と言った。母は泣いてた。でもそれから三年以上はたった。たまに母がメールしたり、途中からはラインになった。一度は彼女の住む県に遊びにも行った。また会おうね、と言ったら、彼女は明るく、生きてたらね。と返された、と母が言ってた。それは2年ちょっと前くらいのことだ。それからだんだんと悪くなってきたようで、ラインした時ももあまりよくないみたい、とは聞いていた。心配だったけど、うちからその彼女の住まいはかなり遠くて、ちょいと行けるという距離ではない。電話したり、メールしたり。の日々だった。そしてついにというか、この2週間くらい前に緩和ケアに入院したという知らせがあった。あぁ…。そうか。という気持ち。なので今日もショックではあったけど、びっくりはしなかった。いってしまったんだな。と。母はたくさん泣いた。私も少し泣いた。悲しい。本当に悲しい。せめてこの前パプリカダンスを見てもらえたので良かったな。スタンプだけの返信があったと聞いた。文字を打つのもつらいんだ。と思った。でも見てくれたんだ。あと、私が先月の母の誕生日にフクロウの小さな焼き物の置物をあげたら、とても母が喜んで、〇〇さんにもこれと同じものをあげたい。というので、同じものを探して、できるだけ早く彼女の所に送った。そのときはもう入院していたけど、娘さんが届いてすぐ病室に持っていってくれたらしい。なので母と彼女は10日ほど、同じ置物をながめていたんだと思う。そう思いたい。とても小さい、可愛いフクロウ。母は、神様のようにそのふくろうをいつも手元に置いていた。いつもいつも彼女のことを思っていたんだろう。だって私だってそうだった。おんなじものを見ていると、そこから何か繋がっているような気持ちになる。そんな気がするのだ。パプリカも、元から踊ろ〜って思っていたし、フクロウも母にあげるのを選んで買ったものだったけど、結果として最後の最後にWさん(彼女)に何かしてあげることができて、よかった。悲しいけど。でもよかった。すごく悲しいけど。これからも色々なことがあるだろう。一つ一つのことを大事な経験、として自分が少しでも強くなれるように、これからのことに向き合えていけるように糧にして精いっぱい生きていきたい。そしてやっぱりお父さんお母さんには長生きしてほしいな。