鬱じゃなくて良かった

本当に私も鬱発症したのかと覚悟していた。ここ2日くらい、特に昨日の落ち込み方はすごかった。もう、何もする気も起きないし、辛くてたまらなくて、また妹のところに遊びに行こうかとかお決まりのことを考えて夜中に航空券のチェックとかしていた。今朝もまだ続いてて、こりゃもう覚悟しないといけないかな。と思っていたら夕方、夜ご飯のあたりから良くなってきた。ああ〜良かった。。やっぱりホルモンだあ。生理の3日目。コロナ騒ぎで疲れまくってストレスで2週間遅れくらいだったし。3日ほど前のおばあちゃんの一件でまた疲れがあったし。グーーっときたみたい。それらで。ホントたまらないよ。。いつもみたいに、ああ、生理のせいで落ち込んでるんだ、すぐ良くなる。とか理性的に考える余裕もなかった。本当に辛くて、早く人生終わんないかな、とかずっと考えてた。新聞の人生相談に書こうかとすらおもった。あーでも落ち着いて良かったあ…。

やっぱり夏は辛い。特に最近異常に暑くなってからは、自分も辛いけど、歳とった親に疲れさせられてうんざりする。主に父。というかほぼ父。やはり、不潔、この一点に尽きる。暑いのに長袖を着るとか、風呂に入らない日があるとか。そういうのがものすごくストレスだ。少し潔癖症気味の私には。それにドアを開け放すので、声がまる聞こえ。別にいいけど、最近どうでもいいことにも大きな声で騒いだりするのが聞こえるから、イヤな時はけっこうイヤ。余裕あれば聞き流せるけど、しんどい時は本当に辛い。でもこれから本物の認知症になる可能性もあるから、その時は覚悟しないといけないんだろうな。。憂鬱。仕方ないけど。今はまだ逃げてるからなあ。でも本当に顔も見たくない声も聞きたくない、そのくらいイヤな思いをさせられたので、もう体が受け付けないのでもうしょうがないよね。この先認知症になって、性格とかがまるっきり変わったりでもすればまだお世話とかする気になるかもしれないけど、まあそれはないだろうな…。まあ今はまだ考えるまい。話は戻って、夏が辛いのはもう一つ重要なことがある。犬の世話だ。数年前まで夏の暑い日に玄関に入れることすらイヤな顔をしていた両親。一昨年くらいからようやく玄関に入れるのは習慣化してきたが、困るのが、散歩の時間。猛暑の日などの散歩の注意を聞いてくれず、協力してくれない。具体的に何かというと、アスファルトが熱い時間を避けて散歩に行ってほしいということ。犬の肉球のやけどの予防。これをちゃんと注意してほしいのだが、ほぼ聞いてくれないのだ。散歩してくれるのは父なので感謝してはいるが、ココの肉球のやけどはさせて欲しくない。地面を触って確認してとか、靴を履かせてとか去年までにいろいろ訴えたが、全然してくれない。本当に苦痛なのだ。それが。なので今年はいろいろ考えて、放射温度計を買った。そしてネットの記事をプリントアウトした。そして、気を付けないと犬は肉球をやけどします、というその記事とともに温度計を渡そうと思っている。地面を仮に触ってくれたとしても、大丈夫だ、と勝手に決めつけるので、実際温度を測って、数字で見てもらうしかない。という作戦だ。自分は完全防備していくくせに、犬のことは何も考えていないから、本当に、私がココを守らなくちゃ。と思う。どうかうまくいくといいなあ。

ところで甥姪の絵は描かなくなったが、今度は花の絵を描くようにしている。たまたま私が母の日にあげた切り花が食卓にあったので、描くのない。って思ってた時に、あ、これでも描こ。って思ってそれから、いろんな花をネットで見て描くようになった。けっこう楽しい。花の種類には際限がないし、ネットは有難い、いろいろな写真がいくらでも見られる。これからは少し花に詳しくなっちゃおうかな。なんかそういう知識が増えるのっていいよね。妹の既読スルーが悲しいから描くもの変えたけど、思わぬところで新たな喜びに出会えた感じ。結果オーライだね。まあまた描きたければそのうちまた誰かを描いたって構わないんだし、お花にも少し夢中になれそうな予感がする。ちょっと楽しみ。モチーフは無限なんだなあ。