疲れの限界は

疲れて疲れて、疲れた、、とにかく。

病気自体は快方にむかっていると思うけど、環境が辛すぎて。

実家を出たのはよくても、おばあちゃんとの生活は苦難の連続だ。やはり99歳とあれば出来ることはしてあげたいと思ってしまう。こっちはヘロヘロでも、体力がその日の限界に達していなければヘルプする。家事の手助けであればまだマシだ。おばあちゃんは、言葉遣いがとても無神経な人だ。年のせいも少しはあるが、元々そういう性格をしている。3年前もチャレンジしてみたおばあちゃんとの同居も、私の体力というよりおばあちゃんの性格のキツさで頓挫したようなものだ。今99歳になって、96歳の頃よりかは少しだけおとなしくなったが、その分頼りなくなった。加齢は仕方ない。しかし、しかし…。こちらはいさせてもらってるんだから、我慢しないといけないのかもしれないけど。あんまりな物言いの時もある。そちらは超高齢者だが、こちらも超具合悪い病気の人なんだよ…。そのへんがうまくいかない。おばあちゃんを怒りたいはずはない。しかし、余裕がない時にちょっとそれは!というような言い方をされるとたまらない…。実家に一時戻ろうにも今はアメリカから私の恐れる姉が帰ってきている。辛くても帰れない。どんどん疲労が募る。。ホントにしんどい。レキソタンを1日のマックス近くまで頓服で飲む日々。辛い…。

しかし今日は久しぶりに外の人と話せた。障害者支援施設のようなところがあったのを思い出して行ったのだ。本当はもう病院に入院しようと思って頑張って出かけたのだが、紹介状がなくてはダメだったので、(ダメ元で行ったのだ)仕方ないからせめて帰りに支援施設に行ってみたのだ。収穫はあったと思う。すごく疲れたけど、外の世界と繋がれるかもしれない、というのは希望だ。車にしばらく乗れた、外の人とちょっとだけど、ちゃんと話せた。本当によかった。外に出られないのは辛かった。ずっとおばあちゃんと二人で。疲れて…。

どうなるかと、本気で怖かった。疲れが限界を超えてる。私はもうダメだ…。昨日はそう思った。今日もプチアクシデントがあって、また疲れて、辛かった…。

でもまだ私は生きてるよ。

長野に住む弟はいつでも来ていいよ、と言ってくれている。

有難い。

でも、飛行機に乗って、その先の4人の子供のいる家に滞在することは出きるのか。完璧な自信はない。

しかしよし行ける、と思ったら即行くつもりだ。

それまでは神様が守ってくださると信じるしかない。