意味のあった苦難

おばあちゃんが施設に入ることがどうにか、動き出した。

私が強く母に意見して、母がついに腰をあげたのだ。うちの母は行動能力も決断力もない。ヘルパーのように世話をするのだけが得意とするところ、という性質だ。

おばあちゃんと一月以上を共に生活して私なりにいろいろ気づいたことがあった。おばあちゃんはもはや一人暮らしを快適とは思っていない。一人で寂しい。どこもかしこも痛くて辛い。具合の悪い病人の私でいいからそばにいてほしい。そんな感じだ。歩き方はヨロヨロ。認知症ではないが、99の為、物忘れは尋常じゃないレベル。これから猛暑が来るのに、適切にクーラーを利用できるのか、、私は心配で堪らなくなった。夏をここで過ごそうと思っていたけど、私もいつどうなるか、疲労が募っていつ入院するかわからない身。もう、施設に入るのがおばあちゃんのために必要だ。と痛烈に感じたのだ。しかしお母さんは動かない。歩けるから、認知症になってないから、一人暮らしをさせている。自分がヘルプに来るからいいと思っている。実際頑張っているのはわかる。でも家にはそれこそ認知症の父がいるのだ。いつまでダブル介護するつもりなのか。

私は我慢できずに母に強く意見したのだ。おばあちゃんに一人暮らしはもう限界だと。一月以上ずっといっしょにいたから、わかる。と。生きてるのすらしんどそうなのに、全部自分で出来るからと一人でさせ続けるのは過酷で可哀想だと。職員さん、仲間に囲まれて笑って生きていく方がいいに決まってると。母は100まで。とか歩けなくなるまで。とか言っていたのだ。歩けなくなる、その日まで?じゃあ歩けなくなって、次の週からホームに入れるとでも?何を考えているのか。決断力がないにも程がある。せっかく要介護認定が下りたというのに。もうすぐ猛暑がやってくるというのに。おばあちゃんをたとえ2時間でもひとりぼっちにしといて平気なの?

かなり強く言った。ちょっと泣きそうだった。

私だって、病気が治ってなくて、疲れて、ヘロヘロで、入院を検討している身。それなのに、こんなことを母に言わないといけないなんて。なんて情けない…。😢

その私の訴えを聞いてようやく母はおばあちゃんに施設に入ることを提案した。ようやく、、その話が現実的に動き出したのだ。

死ぬほど疲れた…。。

折り悪く、ピルの休薬中だ。なんでこんなことが重なるのか。

しかし、やりとげたよ。

兄弟に報告すると、医師の弟は、ファインプレーだよ。頑張ったね。と言ってくれた。妹も、おばあちゃんのためにそれが良かったと思う。よくやったね、お疲れさま。と言ってくれた。

私は家じゃないところに行きたくて、行けるのはおばあちゃんちしか他になくて、仕方なく行ったところがあった。超高齢者のおばあちゃんとの生活は楽しいことは少なかった。辛いことの方がはっきり言って多かった。

でもそのおかげで、私の言葉に説得力はあったと思うし、結果としておばあちゃんの寿命が伸びることに繋がったのかもしれない。それなら、絶対にこの一月ちょっとの日々には意味があったんだ。

無駄じゃなかった。

よく、頑張ったねって、みんなからも労われて、少し報われた気がした。