自費出版って

絵本の自費出版の話は結局なしになった。最終的には自分の気持ちでやめた。

自費出版って今まで縁も何もなかったけど、突然そういうことを考えなくちゃいけない状況になって、いろいろ考えた。

で、これだと思ったのが、やっぱり、自分の作品を出版したい!っていう強い気持ち。それがないとこれは有り得ない。と思った。

当たり前なんだけど。それがすべてだ。

私にはそれが無かった。だからできなかった。絵本を描いていたけど、出版したい、じゃなくて、誰かに読んで欲しかった。が一番だ。家族には読んでもらって、いいねって言ってもらった。それで今度は家族じゃない人、できたらそういうのに詳しい人に感想を聞いてみたい。そう思った。評価して欲しかった。まあもちろんいつかという曖昧な感じで、いつか出版…とはぼんやりとはあって、全く考えてないことはなかった。でも、今回投稿した作品で、絶対これを出版するんだ。とかは考えてなかった。なんか褒められたら嬉しいな。くらいで考えていた。なので、こういう話を頂いて、突然にものすごくいろいろ考えて、心底疲れた。初めに聞かされた、書籍化され、店頭に並ぶ。ネットでも売られる。この事実を前にして、舞い上がった。恥ずかしながら本当に舞い上がった。これは絶対家族みんなに賛成してほしいと思った。予想通りほとんどの家族は賛成してくれた。下の妹は反対したけど。でもそれも、反対されたのが悔しくて、おばあちゃんが資金を出してくれれば、首を縦に振るはず。と画策して、上手く話を持っていき、ちゃっかり上手くいった。それでまあ渋々という感じで妹も了解してくれた。ほんの数日前のことだけど、なんか自分の心が見えてなかったんだと思う。

いろいろ手回しして、上手くいった。そして、さあ私の本を出版しちゃおう!うふふ。…と思ったところで、あれ…??となった。

私、今本当に出版したかったんだっけ?と思った。

答えは、いや…。別にそうじゃない。。だった。誰か外の人に読んでもらって、『良いですね!』って言われたかっただけだった。もちろん何かの賞を受賞して、無料出版。なら、全然構わない。でもそうなるはずはないのはわかっていた。だから、ちょっと、連絡があって、なかなかいいですよ、また描いてくださいね。って言われたら良かったんだ。自費出版。しかもかなりの高額費用。。そこまで考えてなかったよ〜〜。っていう感じ。なので、よく考えて、この話はやめることにしたのだった。もったいないかもしれない。でも、今出版したいんですか?って聞かれたら、いや、別に。。というのが私の気持ちなのだから、やっぱりするべきではない。断った理由の一つとして、まだ歴が浅い。というのがあるけど、これが一番。思い切りの第一位。だって本当に自費で出すとしたら、お金をかけるなら、もっと上手になって、これこそ。みたいなのが出来たら出したい。って思う。あとは、体力的な問題だ。これが二位。まだまだ疲れやすい。すぐヘバる。バテる。外出もかなり限定的。これはかなりの不安要素だ。なので、もう何年かして、もっと絵も上達して、体も元気になってから、再チャレンジしたい。というのが、正直な気持ちだ。その時には、自費出版とはこういうもの。予算もこのくらい。とわかっているので、今回ほどヘロヘロになるほど焦ることもないだろう。良い経験になった、と思う。今回のことは。外の世界の人とも電話で話せた。病院以外の人と。これも良かった。少しの自信がついた。なので、また仕切り直して、これから活動していこうと思う。もうしばらくはマイペースで。

自費出版、上手くいかず

ここ一年ほどのあいだに絵本を描いている。

5作製作した。最新作を投稿してみた。

何ヵ月かして、出版社から自費出版しませんか。と連絡がきた。

費用はこちら持ちだが、書店に並べてもらえるという。値段は安くない。もちろん有り難く、ある意味チャンスだが、即答できる価格ではない。

原案というか、姪の話なので、話をもらった姪の母、妹に連絡してみた。結果…。やめた方がよい。と、言われた。

原案提供者にダメと言われたら出せるはずはない。残念ながら、今回は断るしかなさそうだ。両親は、出すよ!と、言ってくれたが。有り難いことに。しかし、もはや父も仕事をやめており、しかも認知症であり。年金で三人暮らしているので、どこに出版費用があるのか。と、危うい感じはしていた。母はボケてはいないので、少し詳しく聞いたが、どうにかなんとかなる。という話。それなら、もうあとの、将来の不安はは何も考えず実行してしまおうか、と考えたりもした。しかし、費用がどうにかなったとしても、原案者の一人が首を縦にふらないのなら話を進めることはできない。当然だ。妹は、お金についてはものすごくシビアな性格、価値観を持ち合わせている。使うところには使うが、価値無し。と彼女が判断する場所には一切の妥協はない。妹に費用の一部を出してもらうようお願いしたわけでは無いのだが、高額すぎる。部数が多すぎる。などの理由で、やめた方がいい。と言われたのだ。正直に言って大変ガッカリした。部数をそんなに刷って売れるわけが無い。出版社は、売れなくても何も痛くはない。などと言う。ハッキリ言ってそのくらいのことは想像はついている。出版社の人だって、ビジネスでやっているのであって、明らかに儲からないことをするはずがない。売れるかはわからないので、自費出版を進めるわけだ。こちらは、こちらの夢を叶えてもらう、という体なのだ。ただの自費出版と違うのは、ちゃんと、その出版社名のついた本に製本してもらえるということだ。そこに価値が生まれる。内容もプロの人にアドバイスをもらいながら、よりいいものになるようまとめ、ブラッシュアップしたものにする。正直そこの作業がとても楽しそうで刺激的だろうなあ、やってみたいなあ。と思っていた、すごく。自分の本を世に送り出したい。という希望はそんなに持ち合わせていなかった。ただ素敵な大人の人と触れ合いたい。と思っていた。いい作品ですねって、言って欲しかっただけだ。…。

とにかく、賛同が得られないので、どちらにしろ、今回は見送ることになる。週明けには断らなくちゃいけないな。。残念ながら…。と。

でも、下の妹は価値観が違うけど、上の妹は、自費出版すればいいのに!とか元から言ってくれてた人なので、今度は、上の妹の子どもの話を頑張って描いて、再度投稿にチャレンジしてみようと思う。そんな簡単にまた声をかけて頂けるかはわからないが、そうなるように、いいものを再度描けるように、頑張ろう。と思っている。

 

家を出るか迷う

最近、お父さんの認知症ももちろんだが、お母さんのいい加減さに毎日突っ込んでしまい疲れる。前もこういうことあった。で、やっぱりそうなると、私はもうグループホームに行くがいいのか。と考える。今またその心境だ。

お父さんと基本話さないので、私がここにいることで、お父さんにいい影響はないに決まってる。でも、それで特段悪影響とも思えない。(そう思いたいだけかも) ただ、私とお母さんが険悪になると、お母さんがショボンとなるし、結果家庭内の雰囲気悪し、となる。とすると、お父さんにも影響するような気がする。出て行った方がいいのか。いや、もう出た方がいいに決まってる。とまで考えることが増えた。最近。この考えには私が病気であるということももちろん関係がある。私自身の将来のため。この家を出ることが私にとって大きな意義を持っていることは明らかだ。この先どうやって生きていくのか、どこで、誰と。これを考えない日はほぼない。それでも、両親と仲良く暮らしているあいだは、ま、いっか。そのうちなるようになる。くらいで生活していた。でもいざ、両親、家庭内において私がいない方がうまくいくのか?と思うと、一気に家出の方に気持ちがいってしまう。今なんだ。きっと。とか思ってしまう。

しかし、はい、じゃあ出ます。って、なかなか決断出来ない。認知症の父と、いろいろいい加減になってる母、まあ、やっていけなくはないだろう。と思う。生きてはいけるだろう。でも…、ちゃんといろいろ回るんだろうか。掃除や、ココの世話なんかも、手がいくだろうか。。コロナにかかってしまわないだろうか、、etc。心配の種はつきない。私は世話焼きだ。元気なら、とことん、気のつく限り世話をやくタイプだ。家にいるといつもそうする。自分で満足するまでやっている。でも別にここまでしなくたって生きていけるのはわかってる。でも…。私が去って…。心配なんだよね~。。ほんと。せめてコロナ禍でなければ。父が認知症でなければ。もう少し迷わず決断できる気がするんだけど。そういうのは言い訳だろうか…。私はたぶん決断力がない。受験とか学生のときとか、やらなきゃいけない。と決まったことはやっていたけど、社会人?かな、になった途端に病気になったもんだから、それから今に至るから、なかなか、、えいやって、決められない。いや、経験じゃなくて性格なのかもしれない。とにかくもう、飛び出してしまえばいいのだろうけど、私が出た後で親がコロナになったりしたら、後悔するかもしれないな~。。まあワクチン打ってるから大丈夫と思っていいのかな…。

う~ん。。

もうしばらく悩むことが続きそう。

 

夏のいろいろでダウン

本格的にダウンした。

死ぬかと思った…。

この一月半の暑さ、突然の低気温と長雨。

コロナが増え続けオリパラ開催する。

お父さん認知症

非常識な親戚によるゴタゴタ…。

マジでダウンした。

抗うつ剤飲むのが辛くなる。という意味のわからない症状が起こった。これ以上頑張り続けられない。という気持ち。具体的には、動悸が鳴りやまないようになり、なんだこれは…??副作用?って怖くなった。それで2、3日薬を抜いてみると、少し頭がスッキリし、動悸もやんだ。しかし、今度は辛くなってきた。やっぱり、まだ薬いる…。飲まなきゃ。で、飲む。このあたりで、これからどうすりゃいいんだ。となって、予定より早く病院へ行った。動悸がひどいから、薬の副作用でしょうか。と話したら、うーーん。そんなに副作用が強く出る薬じゃないから、たぶん、ストレスフルなための動悸だと思いますよ。って。言われた…。そうだったのか…。で、動悸を押さえる薬を処方。抗うつ剤は、戻してみた方がいいんじゃないかな。って。戻しなさい、とかきつく言わないのが今の先生のいいところ。とてもよく気のつく、話もわかってくれる、いい先生。この先生は今までで一番だと思ってる。やっといい先生につくことができて良かった。それでそれから3日くらいたって、やっと抗うつ剤が普通になってきて、ちょっとだけ普通に戻ってきた。はあ、良かった…。戻すのもちょっとキツそうな感じがしてたんだけど。なんとか、戻せた。。もう死ぬかと思うよね…。辛すぎて。疲れもそうだし。薬が抜けてしまう状態もそれもやはり辛い。でも、それでも今回は一時薬を抜いたのは悪くなかったって思ってる。なぜなら、休むことができたから。抗うつ剤きいてると、どうあっても頑張ってしまうのが私だから。もう、動悸がすごくて限界だったんだから、休むのが正解だったような気がする。薬を抜くと、なにもやる気が起きなくなって、(やる気というか力が出なくなる)、ひたすら休んで寝て過ごすしかなくなる。仕方ない…。って思いながらも何日間かは寝たり起きたりの生活をした。そうしないとダメだ。ってなんかわかって、そんなストレスもなく、寝てた。やっぱりそれで少し休めた気がする。だから結果良かったんだ、と思ってる。いろいろあるよね。不調をもとに戻すやり方は人それぞれだろう。まあ基本、休む。だろうけどね。とにかくなんかここしばらく、ネットで頼むもの、契約するもの、たくさんあったりして、そういうのも引き受けていて、そういう疲れもあったんだ。それもこの2、3日寝ながらもたまに起きてコツコツとすすめて、なんとか終了した。よく頑張りました。私。自分で誉めます。

とりあえず、普通に起こる家族のストレスはもう仕方がないことだけど、この天候、なんとかならんのか。いや、それこそ天災だからなんともならないのだけど。このブロク読み返してみると、前にピンチになったのって、2月だ。めっちゃ寒いとき。てことは、明らかに私の不調は天候に左右されてるってことだろう。最近、本当に異常気象だもんね。。だれにでも同じだけど、私はとにかく感じやすく疲れる質なので、本当にサバイバル、です、大袈裟じゃなく。死ぬのか?とか何回も思った…。とにかく一番の思いは早く秋になってくれ。そして来月は私も二度のワクチンを予定しているから、それが早く済めば、少しは安心してリラックス出きるようになるのかな。。夏さん、早く終わってね。悪いけども。。

最近の辛いこと

お父さんが認知症だということは悲しいことに違いない。でももっと辛いのは自分が孤独だと感じる時。長年病気なのでずっと友達も連絡とってないし、兄弟はたくさんいるけど、最近本当に合わない。誰とも合わなくなってきた。

お父さんが認知症になった時はすでにコロナだった。いや厳密にいうと、コロナ前から徴候はあった。それからもうこれは間違いないとなってから病院へ行き、診断がついたのがコロナの最中。それからみんな帰ってきてないから、お父さんがどれほど進んでいるのかちゃんとみんなわかっていない。わかりたくない、知りたくない。って思うんだろう。それはわかる。みんな積極的には聞いてこない。なのでどうしても悲しい出来事があったらその時はこっちから言う感じだ。でも、大変だね、という返事もあんまりない。けっこうみんな他人事な雰囲気が漂ってんな〜って思う。それが、ものすごく孤独感を募らせる。お母さんとはもちろん共有できているけど、それも私が一人っ子ならこれで仕方ないけど、他にたくさん兄弟がいるのに、わかってくれてる人がいない。悲しい。すごく悲しい。みんなそれなりに気にかけてくれて悲しんでくれてはいるんだろうなって思う。そう思いたい。うん。。他人事タイプの兄弟はそんな感じで。他には現実を受け入れられないタイプの人もいるんだ。姉と上の妹。二人は、お父さんと電話とかして、とりあえず決定的に会話におかしいところがなければ、認知症、進んでない。と思ってしまう。断定してしまう。もっと頭使うような話題をすれば一目瞭然なのだが。もしくは会って会話してみれば。どのくらい進んでいるかわかるはずなのだが。でも二人はさほど進んでいない。と思っているのだ。ていうかそうであってほしいあまりに、そう無理やり思っているように見える。それがまたこっちには辛いのだ。最近は父の件を話題にできなくなってきたので(話が食い違ってしまうから)、あまり連絡していない。電話などで、進んでいない。などと言われると、本当に悲しくなる。だから連絡は最小限に、父とは全く関係のないことを少し、に留めている。そんな感じの毎日だ。

認知症は、病気なので進む。それは避けられないことだ。でもこの病気は性格、やる気で少しは遅らせることができる気がする。しかし、うちの父にはその能力がない。意識が低い。できることをやって、努力して…。という考え方ができる人間ではない。なので、ただ日を追うごとに進んでいく一方。それを私と母はガッカリしながら確認するわけだ。これはすごく悲しいこと。最近になると、なんでもないことでもすぐ怒るようになってきた。例えばお風呂に入らないの?とか、歯磨きした?とかお母さんが聞いても怒るらしい。それは認知症の人はよくあることなのだろうか。うちの父がアスペルガーだからなのだろうか。それはわからないけれど。とにかく誰かに聞いてほしい。ってすごく思う。本当は子供である私の兄弟が聞いてくれるもんじゃないのかなあ。って思うけど、案外そういうものでもないのかもしれない。実家にいる人だけで全部抱え込んでいくものなのかな。まあ今お母さんと私と二人いるからいいのかもしれないけどさ。でも誰にも相談も、話を聞いてもらうのもしてもらえないのは辛いな。。

はー。

眠剤の調節に難航

眠剤の調節に難航している。

最近少し良くなってきたので、少し事情が変わってきて、前のようなリズムではなくなってきた。以前までは3つ目の眠剤で完璧に寝ていたが、最近二つ目で寝てしまうことが出てきた。それはそれでいいことだが、困るのは早く目が覚めてしまう、ということ。あまりにも早く目が覚めてしまったら、そこで三つ目投入でいいのだが、そこそこ眠れて目が覚めると躊躇する。けっこう朝じゃん。となると…。そこから三つ目いくと、起きた時に飲み過ぎ。気持ち悪。みたいになることが出てきた。面倒だ〜。ほんと。

よくなってきたということは、けっこう疲れづらくなってきたってことでもあるので、朝起きても、いや、このままいけるかも!?とか考えたりもするのだ。しかし、だんだん疲れてきて、夕方近くになると、し、死ぬ…みたいによくなる。どのくらい寝て、どのくらい活動できるのか。ということがまだ掴めていない。仕方ないけど。少しづつ今日はこれにしてみよう。みたいに試して、掴んでいくしかない。最近新しく変えた病院の先生は、二つ目を飛ばして一つ目の次に三つ目を飲んでみたら?と言ってくれたが、三つ目のやつは基本は眠剤ではないので、できれば眠剤で寝たい。というこだわりが私にはあって、、今検討中だ。新しい先生は若いので、ほかの眠剤を提案してもらうという考えもある。手持ちののもでどうしても上手く行かなければそうしようかな。と思っている。しかし昨日はちょっと地獄を見た。前の晩早寝できたのは良かったが、最高記録で早起きをしてしまい、まあいいやって追加眠剤をせずに1日を過ごしたら、、本当に。。辛かった〜〜。なので今日は飲み過ぎ!って思ってもいい、たくさん寝よう。と思ってそうした。結果たっくさん眠れて良かったけど。。やはり飲み過ぎ感は否めない。なんかこう、もっと、ちょうどよく寝たいよね。ボヤボヤしてるのも嫌だし…。難しいところだ。でも前と変化してきたからこその今の状況なんだから、と前向きに考えてやり過ごそうと思う。

好きな時に昼寝ができる人は本当に羨ましいよ。

お母さんとか見てるとさ。。

脱スマホ

スマホをした。要するにガラケーに乗り換えた。

理由はライン、ネット疲れだ。単純明快、それに違いないって理由である。きっかけは妹とのラインでのケンカ。上の妹とはこれまでもそんなことが時々あった。姉妹ケンカなんてよくある話かもしれない。しかし、私の妹のパワーはすごいんだ…。いや、よくあるって言っても、40近くの妹と40越えの姉で喧嘩なんてするもんかな。ラインで…。とにかく私は疲れたのだった。画面上の彼女のパワフルな文言に疲れ果てた。ラインとは便利だが、喧嘩となるとものすごくしんどい。次々と繰り出される言葉は本当に辛い。しかも、すぐ返事をしないといけない、というような雰囲気は本物の喧嘩さながら。私はついに何度か目かのケンカで、もうスマホやめよう。ってなった。

まあネットニュースにももう疲れていて、スマホと距離置きたいなって思っていたところだったから、ちょうどよかったのだ。だいたい働いていないんだし、家の中のWi-Fi使ってスマホ使うんだったら、契約してなくてもいい話。前もスマホの前はガラケーで、スマホWi-Fiで使ってたのだが、その家スマホが壊れたので、ちょっと本物のスマホに契約変更しちゃおっかな!と調子に乗ってスマホに乗り換えたのだ。ガラケー使ってる時はスマホに憧れるというバカみたいな自分…。スマホ契約してると一人前みたいに思えてしまう。。(アホ)でもそれでその当時の最新スマホにして(もちろんキャンペーンで安い時に乗り換えるのは当然)、もう2年以上経ったので、もういいや、みたいな感じになった。機種代も払い終えたし。お父さんお母さんありがとう。やはり一番安いプランでもスマホは高い。なのでもうガラケーに戻ります。と、自分に都合よくガラケーにしたのに家計に貢献したのかのような言い方をしてみる。でもまあ本当に、妹とのことはきっかけに過ぎなかったのだ。スマホは怖い。メールやラインならまだしも、どうでもいいニュースとかなんのお知らせなのかわからない時も、常にピコンピコン音が鳴って、つい手に取ってしまうのだ、私のような暇人は。そして楽しいニュースなら良いが、とてもいやなニュースや心底どうでもいいお知らせなどが目に入る。そういうことにちょっと嫌気がさしていた。もう変えようかな。と思っていたが、この立派なスマホを、、乗り換える……。と、二の足を踏んでいた。デザインは好きだし、かっこいいし。。という感じでなかなか機種変できずにいたのだ。なのでケンカして、あー、もういい!変える!!となってから、すぐに目をつけていた機種のガラケーにすぐオンラインで機種変したのだった。ほんと、今考えると良かったわ。他にスマホの嫌なところの一つとして、単純にでかいというのがあった。ちょっとした外出、散歩の時などにポケットに入れると安定が悪い、服によってはポケットに入らない。というのがあったが、その点もガラケーなら解決。元からガラケー世代で、プッシュ操作も慣れているしね。もう、いい事尽くしだよね。こうなると。笑 そして使いたい時だけスマホを使うと。ずるいことにスマホはそのまま手元にあるので、家でそのまま使っている。でも、もうこれはメインではない。いつも電源入れとかなくていい。って思うと少し気が楽だ。いや、だいぶん、楽。ネットが見たいときはiPadを見るようにしている。なんかスマホと違う。見させられている感がない。自分から見に行ってるからだろう。なので、今私の周りにはまた小さな機械が一つ増えたが、私のネットライフは少し整理されて、少し快適になりました。妹には私の体調不良ということでしばらくラインはお休みしますと言っておいた。これはあながち嘘ではない。