グループホームがわりの生活

1週間前に家をほとんど逃げ出すように出てきた。家はもう限界、行くところもなく、入院なんか絶対嫌で。途方にくれて、最後にたどり着いたところはおばあちゃんの家だった。3年前にも家を出たかった時期があり、自宅から10分のおばあちゃんち、その2階の部屋を整理して畳を新しくし、私の部屋を作っておいたのだ。(結局その時はおばあちゃんちでの生活は、一月しかもたなかったのだが。)とにかく今回、3年前に一応私の住める空間を作っておいたことが幸いして、とりあえずおばあちゃんちに避難というか、移住というか。仮ではあるけど、そのおかげで一応実家を出れたのだ。

おばあちゃんは99歳で、料理や掃除のヘルパーは来てもらうが、一応自立している。身体介護はどうにか不要。それだけでも偉いと思う。なにせ99だから。

しかし私も病気でしかも今は元の病気プラス2つ目の病気の治りかけ。かなり良くはない。はっきりいって入院レベルだ。しかし私は一度精神科病棟に入院したことがあるが、あそこでは快復は望めない。と思っている。よけい病む。入院は。それが私の経験からの持論。よっぽど至れり尽くせりのすばらしい病院ならいいかもしれないけども。私が以前入院したところがひどかったのかどうかはわからない。しかし、ここは、人権がない。とうのが、当時思ったこと。あのようなところは絶対ごめんだ。

おばあちゃんが受け入れてくれたのは本当にありがたいこと。しかし、おばあちゃんは看護師ではないし、超高齢者。しかも少し無神経な性格だ。疲れさせられることもしばしば。仕方ないことだが。かなりお母さんのフォローを受けながらのここでの生活を送っている。私の気持ちも体調も少しは整ってきたが、まだまだ不安定で、一日に何度もお母さんに来てもらっている。そこはおばあちゃんが一歩引いて見ていてほしいところなのだが、そういうのが出来ない私のおばあちゃんだ。お母さんは娘なので、容赦なく話しかけてきて、何事かやってもらったりしている。そして、私にもお母さんのことなどを言ってきたりする。これがけっこうストレスだ。私としてはここは老人と障がい者グループホームのようなところで、それぞれヘルパーや世話人の世話になりながら生活している。という認識。しかし、おばあちゃんはそんな風には割りきれていない。お母さんがくるとグダグタになる。99だから仕方がないが。それで今考えているのはお母さんのかわりに訪問看護師さんやヘルパーさんに来てもらうということ。そうすればそれぞれが頼る人が明確になり、お互いがあまり干渉しない生活が出きるのではないかと。それにおばあちゃんも99、いつ本物の老人ホームに行くことになるか。私もいつまでもここにいられるわけではないだろう。いつかは本物のグループホームへ。だろう。今はその慣らし期間だ。と思っている。おばあちゃんのことは同じ立場の入居者。ちょっと面倒な性格の人。くらいに思って接しようと思っている。おばあちゃんちに居候している孫。というのが実際のところだろうが、私の気持ちとしてはそんな感じだ。

いろいろ自分を励ましつつ少し頑張らないとな。せっかく家を出たんだから。

おばあちゃんの要介護認定

おばあちゃんは99歳になった。うちから車で10分のところに住んでいる。一人暮らしである。

認知機能は全く衰えていない。それはすばらしい。しかし、99歳。歩き方はヨロヨロ。杖、もしくは歩行器を使う。ごはんは宅配弁当。たまに母が持っていく。最近はベッドから起き上がるのにも苦労しているらしい。当然だよなあ。

おばあちゃんは今要支援2らしい。今老人ホームに入る、もしくはデイサービスを終日使うのには要介護が取れないといけないという。おばあちゃんは大正生まれの99歳であるのに、老人ホームに入れない。サービスも限定的にしか使えない。これはなんたることだろう。

今は老人の超高齢者がたくさんいるので、厳しくなっているのだろうかと推測する。それにしてもだ。99歳だよ?白寿よ??  

お母さんが認知症のお父さんを見つつ病気の私を見つつ、おばあちゃんも見ている。大変だ。本当に。私も少し話を聞くことくらいはできるけど、実際行動するのは全部お母さんだ。大変すぎる。

ついに今日、その要介護認定を取るために、市役所?かどこかの人が来て、おばあちゃんの普段の生活、歩き方、などいろいろを見てもらい、調査というか、試験のようなものをした。担当のケアマネジャーさんが親身になってくれて、少しオーバーにしてください。絶対に、本当はちょっと無理だけど、出来ます、とか言わないようにしてください。と事前に綿密に作戦会議をしていた。まあ、作戦といかずとも、本当に本当のところギリギリで厳しいんだから、正直に言えばいいのだ。多少盛っても、オーバーとまではならないだろう。私はおばあちゃんが96か97のとき以来会ってない。その時はまだそこまでピンチな感じではなかった。ちょっと危なっかしいかな、くらいで。でもあれからずいぶん進んだらしい。そうだよなあ…。でも頭がハッキリしてるだけでもすごいよ。それだけでも有り難いよね。しかし、その査定のための病院でのもろもろの検査で、認知症検査が100点満点だったらしいのだが、それは喜ばしいことのはず。本来。でも、そのおかげで、要介護認定においては不利かもしれない、もしかしたら。という。認知症であるということが、要介護においては結構優先されることもあるらしい。そうなの?…。いやまあそれはわかる。わかる気がする。お父さんが認知症だから、認知症が進んだ方が素人には大変。それは、よくわかる…。でもそれと同じくらい、体のきかなくなった99歳も大変よ…。って思うよ…。

とにかく、おばあちゃんの要介護認定が無事おりることを祈るよ。そうすれば使えるサービスも増えるし、施設に入るという選択肢も持てる。お母さん、この一年で5キロ痩せたんだよ…。まあもとから膝のために3キロ痩せたい。って言ってたから、ちょっと喜んでたけど。(笑)今も痩せすぎじゃなくて、ちょっとスリムになった。くらいだからいいけど。でもお母さんの負担軽減のために、おばあちゃんの要介護、取れたらいいなあ。

10年後の目標

北京オリンピックが終わった。始まる前は見られるかわからないなというコンディションだったが、途中から結果なんかを少しずつ見れるようになって、最後までほとんど中継じゃなくてハイライトだったけど、まあ見れた。日本選手の活躍もしっかり目撃した。すごくいいオリンピックだったなあって思う。審判とかの問題は過去最高に山積みだったと思うのは否めないけど。羽生くんに感動したし平野歩夢選手にはしびれた。他にもいい場面やインタビューをたくさん見れてよかった。

今日閉会式をお母さんと見ていて、次の冬季オリンピックはイタリアのミラノだ。となって、いいね〜〜次のオリンピック行ける人は。ミラノだよ!?って話していたら、『ママヨーロッパ行ったことない。行きたかった。。』みたいなことを言うので、これから先の人生で行けるチャンスあるよ!お父さんが施設とかに入ったとして、その時お母さんがまだちゃんと歩けてボケてなければ全然行けるよ。って言ったら、○○(私)と行きたい。一緒に。って言ったので、じゃあ私が行けるようになったら一緒に行こう、ヨーロッパ。10年後くらいに。と話した。なんか幸せだった。今毎日ホルモン治療でしんどくてたまらなくて、未来の事なんか全く考えられない。これからのことも不安でつらくて泣いてばっかりの毎日。でも不意に、ヨーロッパに行こう、いつか。って話して、何となく希望みたいなのが湧いてきた気がした。今辛くても、1日ずつ日にちを重ねて生きていけば良くなる日もくるかもしれない。それを繰り返した先にもしかしたら、飛行機に乗って外国に行ける日も訪れるかも知れない。そんなふうに思ったら、少し気持ちが明るくなった。楽しい未来も存在するのかもしれない、と思えた。有り難かった。いつか治ったら海外旅行しよう。って前からたまに言ってたけど、こんなに調子が悪くて先が見えない時だからこそ、いっそう嬉しい気持ちになった。いっしょに行きたいと言ってくれる人がいるんだってことも改めてありがたく感じた。だから、まだしんどいけどもう少し頑張れそうだなって思えた、今日のささいな出来事。(^^)

やさしい病院の先生

今の病院の先生はすごくやさしい。そして、とても気がつく人。今の先生に出会えて本当によかったとつくづく思っている。

男性で年は私より少し上、40代後半のようだ。既婚、子供あり。ここは九州だけど、関西弁。しかし、語り口はとてもやさしい。ここの病院はシステムがすごくしっかりしていて、保健師さんが複数常在している。来院して受け付けをすると、まず保健師さんとの面談がある。その時間に特に制約はなく、いくらでも話せる。そしてあの先生が採用しているだけあって、保健師さんもみんな感じがいい。こちらの話をよく聞いてくれるし、同情してくれたり、理解を示してくれたり、とても有難い。そして、充分話し終えると、その話したデータは先生のパソコンへ。そのデータを先生が確認してから、先生の診察となる。となると、前回からのこれまでの経過、今の大まかな状態を先生に話す時間が省けるわけだ。いきなり、先生が困ったな~とか、大変やね~とか言ってくれて診察が始まるのだ。すごく効率がいい。先生しか出来ないこと、それに仕事が集約される。素晴らしいシステム。そしてこちらとしても、困ったことやいろんなことを、保健師さんと先生、二人の人に話せるのだ。これはとっても嬉しい。心療内科に来る患者さんにもいろんな人がいるだろうけど、私の立場は少し孤独だ。働いてもない。親と暮らしてはいるが、兄弟もみな遠くに住んでいる。面と向かって話せる人は少ない。だから、複数の人と話せるというこのシステムは、とっても有難いのだ。しかもみんないい人…。よかった、、この病院を知れて。って思う。

今日また嬉しいことがあった。私は何年か前から漢方薬も飲んでいる。PMS対策で、漢方薬局で高いけど辛かったので処方してもらった薬だ。それがとても合っているので、ドラッグストアで売っているものはそこで買い、服用していた。それはPMSにも有効なのだが、神経がとても疲れたときにも効くので、最近はかなり常用していた。なので今までは病院の先生には言っていなかったのだが、さすがにサプリじゃなくて薬なので、もう言おう。と思って、ドキドキしながら報告した。すると、『漢方薬局で買ったら高いやろ、うちで出してあげるよ。』って言ってくれたのだ。やっぱり、やさしい。漢方は、漢方薬局の方が信用できます、みたいにとられたら不愉快に思われないかな。とか少し心配した。でも、そんな人じゃない、とは思っていた。でもそこまでやさしい対応をしてくれるなんてなあ。本当に、こんな辛いときに、優しくしてくれる人がいるってことは、病院の先生でも、本当に嬉しい。これからもずっとお世話になりたいなと思えた出来事だ。

グループホーム体験

ついにグループホームの体験に行った。行けた。しかし、、2泊する予定だったけど、1泊で帰って来てしまった。。もうこれは仕方ないとあきらめてる。もともとヨロヨロでベッドにパジャマでいた状態だったんだもん。十日前に見学に行ったとき、体験でここにきて寝ていてもいいよ。と言ってくださったので、それならいつまでかかるかわからない完全回復を待つ前に、もうやってみようかと、やってみたんだった。でも、やっぱり神経がだいぶんお疲れな感じだったので、初めての場所という緊張感に加え、2日目は昼間の間どなたもおられない。というひとりぼっち状態がものすごく体に堪えた。夜、みなさんが集まってきてやっとごはんだ、というところまではなんとか耐えたが、もうそこで疲れの限界になってしまって、夜ごはんも食べられず、3日目の朝を迎えずに帰って来てしまった。とっても残念だった。まあ体調、その他いろいろ考えても、客観的に見てもまあ、そうよね、今はねとは思えるから残念ではあるけど、けっこうあっさりとはしている。

家に帰ってきたら、ああ帰って来ちゃった…。と思ってちょっと、いやかなりガッカリしたけど、やっぱりとっても落ち着くよねと思った。ココもかわいいしね。お父さんの声はやっぱり聞きたくないけど、ここはお父さんの家なんだから仕方ない。ほんと。そして本当に、心底私の家なんだなあと思った。もう20年、病気になる前も数えると、30年くらいは住んでるかな。そりゃ安心するよね。。でも、早めに引き上げてしまったとはいえ、今回行ったグループホームは、とても居心地がよかった。人もよかった。たださみしさと緊張感の問題だった。なので今回は多いに収穫があったなと思う。またいつか行くときはまた同じところに行こう。もっと体調を整えて。今はとにかく落ちすぎている。まずはある程度、普通に活動できるくらいには体を戻さないとな。本当に10月末のあの事件以来、底辺に落ちたまんま。一月くらいそのまんま、だった。本当に辛かった。それでようやく今は少~~し浮上しかけたところだ。でもまだ秋の始め頃の普通だったときの調子には遠い。すぐに、へばる。そしてベッドへ。って感じだからな。やっぱ兄弟のみんなには帰省…。がまんしてもらいたいよ。でもそれも辛い。。本当に我が家に別宅でもあればいいのにな…。そう願わずにはいられない。どうしたらこの先行きの暗すぎる、お手上げのような状況を越えていけるのかわからない。兄弟のみんなに、認知症のお父さんの姿を見てもらいたい。という気持ちは強い。しかし、私は半分死んでるから…。うーん、もう少し考えてみんなにも意見を募ってみようかなあ…。一応私は家を出るチャレンジはしたわけなんだよね。半分は失敗したけど。でもチャレンジしたことで、心は少しはやったんだ、という満足感は少しある。だから兄弟のみんなにも、なんとか妥協してもらったり工夫してもらったりしてほしいなあ、。お母さんに伝えてもらおう。うん。それでもやっぱり今日、帰るとなってお母さんの迎えを待つ間、昔は独り暮らししてたのにな…。ってちょっと悲しくなってちょびっと泣いてしまったよ。

佐藤愛子さんに憧れる

先月ダウンしてから1ヶ月たった。寝て起きて、ごはん食べてお風呂入って、トイレに行く。くらいの生活。生きるのにギリギリのことくらいしか出来ない生活をしている。この2年くらいの我慢が限界を迎えたんだろうな。と思っている。これからどういう生活をするのかは改めて考えるとして、とりあえずは休まないといけない。しばらく休養しないと生きていくことも危うい。という状態になってしまった。実際いま頑張って休養していると思う。環境は変わっていないわけだから。それでも、ごはんを頂けてベッドがある。これで有難いと思わないといけないのだろう。

ふだん時間があれば、本を読むが、ダウンしたときはやれることが特に限られてくるので、本を読むというとこはとても貴重なゆとりの時間となる。ベッドサイドの明かりを点けて読む。休み休み。こういうときには刺激のある本は読めないので読むにはエッセイがうってつけだ。最近ハマっているのが佐藤愛子さんだ。

何年か前に、90歳、なにがめでたい。というエッセイが大ヒットして、私も図書館で借りて読んだ。そのときは、わ~若い、元気なおばあさんだな~~!と思った。とりあえずはそれで終わった。それでしばらくは、図書館で見かけたりしたときには、あ、あの面白いエッセイのおばあさんだ。という認識だった。それが最近なんとなく、佐藤愛子さんのエッセイ面白かったから、他のも読んでみよう。と思って、何冊か借りてきて読んでいたら、たちまちハマってしまった。びっくりしたのが、新しい装丁だから最近のかな?と思って読んでいたら、50年前、40代の頃。ということがわかり、えっ、最近のものと思った…。古くない。と感じたこと。やけに回りに出てくるものだけが古い感じがするが、…?と思っていたら、よく見ると佐藤さんが40代のころのエッセイ。とわかり、そんな前からこのような新しい感覚を持っていたのか。と驚いたのだ。今でも充分に通用する価値観。ジェンダー意識。何より自分の意見を曲げない強さに感服した。今よりずっと女性が生きづらかったであろう時代に、この文章。すごいなー…。強い。私はすごく神経が弱いので、こういう強い人間、特に女性に憧れるのだ。また、本当かよ?と思われるかもしれないが、ちょっと私の考え方の中には佐藤愛子さんと似ているところがある。しかしそれは私の中では極論で、理想で、そうは言ってもそんなこと出来るわけないじゃん。とか、それは極論だな。とか思って、ひるんでしまうところなのだが、佐藤さんは、こうだ!!こうなのだ!!と強い文章で言いきる。それがまたものすごく痛快なのだ。これって似ているというか、みんながちょっと思っていても、臆して言えないことを言いきってしまうところ。それが出来てしまうのが佐藤さんの魅力なんだろうと思う。主に女性の。本当に強い女性はカッコいい。しかも現在は90過ぎのおばあさん。ときている。これが憧れずにいられようか。特に私は今はダウンして、日がな一日寝ている。そんな私にとって彼女はヒーローだ。夫の不甲斐なさにも借金にも、更年期障害にも負けず、強く生きてきた、佐藤愛子さんに私は憧れる。ファンレター書こうかな、ってちょっと思っている。作家さんにファンレター書こうかなって考えたのは人生で初めてです。

子どもの声は美しい

音楽会とかの季節だ。プロは季節問わずいつでも演奏会あるけど、学校行事だとだいたい秋。ただ今芸術の秋である。

最近立て続けに甥の学芸会、姪っ子の音楽会とあって、家のiPadに動画が送られてきた。

可愛い。そして可愛いだけじゃなくて、美しい。子どもの声、歌声って。感動してしまう。

甥っ子は私立の進学校で、制服を着て真面目に歌っていて、かなりハイレベルな教育をされているみたいで、どこかの合唱団のような感じだ。しかしまだ五年生。声変わりもしてなくて、特にマジメな性格の甥は、歌い方もステキなマジメぶり。とても可愛い。

姪っ子は三年生で、普通の公立小だ。今日が当日で、動画を見たら泣きそうに感動してしまった。去年、六年生を送る会でコロナのため歌えず、当時の二年生が手話で歌った曲だったのだ。とてもステキな曲。二年生だった姪がとても上手に手話で歌っている動画を見せてもらった。それを、今年は三年生がマスクをしながら歌ってて。なんか感動して…。大きくなったな、とか、単純に歌えるようになってよかったなとか。また、声が綺麗すぎて感動してしまった。

なんで子どもの声は感動するのだろう。

わからないけど、悪いものが何も入ってないから、美しいから、だろうか…。

心が浄化されたような気持ちだ。